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  • 執筆者の写真CPC K

2023.1.4-1.5年頭祈祷会_使徒言行録 2 章 17~21 節「若者は幻を見、老人は夢を見る」

牧師 松矢龍造

今年は、五ヵ年宣教計画の四年目です。この五年間の宣教基本姿勢は「御聖霊による神の国の文化の浸透」です。そして今年は「弟子養育強調」の年です。教会標語は「キリストに養われて献身へ」です。さらに年度課題は三つで、「終末の希望を持つグランド世代」「BCGJKM への祈りと献身」「ユース礼拝の実施に向けて」です。 今年の年度課題は、グランド世代、子どもたちと、その為に仕える人々、またユース世代の為に、祈り献身すること目指しています。その為には、御聖霊によって、ビジョンや夢を頂くことと、御聖霊によって、主の弟子として成熟してゆくことが必要となります。 私たちの信仰と生活が、成熟してゆくために、御聖霊が用いられる、いくつかの要素があります。第一は、問題を通して、造り変えられてゆきます。ある方が「神様に対する信仰という純金を生み出すもの、それは苦難という火である」と言われていました。 あらゆる問題の背後には、それを許された神様の良い目的があります。コリントの信徒への手紙二 4 章 17 節「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」 ジョニー・エリクソン・タダという聖徒が次のように言われています。「人生がバラ色の時、私たちは、主イエス様のことを知っていると思い、主イエス様のように生きているつもりになっていて、何となく主イエス様の教えを引用してみたり、主イエス様のことを話したりしています。しかし、苦難を通してでなければ、私たちが、本当に主イエス様を知ることはないのです。」 旧約時代、兄たちからエジプトに売られ、牢獄に入れられたヨセフ。また迫害の中で、獅子の穴に投げ込まれた預言者ダニエル。そして泥の井戸に入れられた預言者エレミヤ。彼らは、苦難の中で、神様をよく知り、深い真理と信仰が与えられてゆきました。 さらに新約時代の使徒パウロも、苦難の中で、信仰が深められてゆきました。コリントの信徒への手紙二 1 章 8~11 節「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。 それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」そしてあらゆる苦難や失敗を通しても、全てが主にあって、万事、益とされてゆきます。ローマ の信徒への手紙 8 章 28 節 29 節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」

私たちの犯す罪も、傷も、病気も、借金も、災害も、離婚も、愛する者との死別も、万事の中に含まれています。神様は、最悪の情況から、最良のものを引き出すことがお出来になる、十字架と復活の主、全知全能の神様です。 使徒パウロは、主にあって、艱難から始まって、良い実を結んでいくプロセス・過程を記しています。ローマの信徒への手紙 5 章 3~5 節「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」 苦難自体なら、それは空しいものです。その苦難の中で、キリストを見上げる時、その困難が万事益とされます。コーリー・テン・ブームという聖徒が次のように言われます。「世の中に目を向ければ、悩みが増すでしょう。自分の内側をのぞいても、落ち込むだけです。しかし、あなたがキリストを見上げる時、心に安らぎが与えられるのです。」 第二に、御聖霊が用いられる要素は、誘惑を通して、成長するということです。宗教改革者の一人、マルチン・ルターは次のように言っています。「誘惑を受けたことが、私にとって神学教育でした。」ヤコブの手紙 1 章 12 節にも、このようにあります。他の訳と合わせる訳となります。「試練を耐え忍ぶ人・誘惑を受けた時、それに屈することなく、間違ったことを行わなかった人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。」 あらゆる誘惑は、罪に陥る危険ともなりますが、しかし善を行う機会ともなります。アダムとエバが、エデンの園で、蛇から誘惑を受けた時、それは堕落につながる危険もありました。しかし神様を愛するから、これを食べないと、誘惑を退けて、神様への愛が増す機会ともなっていました。 現在は、私たちが誘惑を受けた時、荒れ野で誘惑を受けて、勝利された神の御子イエス・キリストの助けを、常に求める必要があります。主の祈りの中で「誘惑に合わせず、悪より救い出したまえ」とあります。これは、誘惑にぜんぜん遭わせないでくださいという内容というよりは、神様から離れてしまうような、誘惑あわせず、悪より救い出したまえ。自分の力では、悪魔に負けてしまいますから、神様、助けてくださいという祈りです。 私たちにとって、誘惑は、外からの悪魔の誘惑と共に、内なる悪しき面の欲望との闘いでもあります。主イエス様は、心の内側から出てくるものについて語られました。マルコによる福音書 7 章20~23 節「更に、次のように言われた。『人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。』」 それでは、誘惑に打ち勝つためには、どうすればよいのでしょうか。一つ目に、誘惑されるものから、常に遠ざかるようにすることです。テモテへの手紙二 2 章 22 節「若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」 崖っぷちの近くを、わざわざ歩く必要がありません。誘惑される崖っぷちから、遠ざかることです。 二つ目に、キリストをまず見てから、他のものを見るということです。異性に会わない日は、ないと思います。異性を見る前に、キリストを見て思う。そしてキリストにある正義と信仰と愛と平和に、いつも近づいて、感化を受け続ける必要があります。 三つ目に、心の中に、常に良いものを満たしていることです。私たちは、心に占めているものによって、後の言動となってゆきます。フィリピの信徒への手紙 4 章 8 節「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」

四つ目に、自分の葛藤を、信仰の友や、信頼できる人、サポートグループのメンバーに打ち明けて、誘惑に打ち勝てるように、祈って頂くことです。コヘレトの言葉 4 章 9 節 10 節「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。」

またヤコブの手紙 5 章 16 節「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」

五つ目に、救いと共に、御聖霊に導かれた祈りと御言葉の剣をもって、悪魔の誘惑に打ち勝つことです。エフェソの信徒への手紙 6 章 16~18 節「なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」

自分の肉の力では、悪魔の誘惑や、自分の悪しき欲望に負けてしまいます。自分が弱い存在であることを認めて、祈りと御言葉と御聖霊に、常に頼ることが必要です。

第一に試練、第二に誘惑が用いられますが、第三に、御聖霊は、時間を用いられます。私たちは、いきなり霊的に、信仰的に大人になることはありません。成長や成熟には、時間がかかります。フィリピの信徒への手紙 1 章 6 節「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」

ある方が言われます。「私たちは、どれだけ早く成長するかに関心を持ちますが、神様は、私たちが、どれだけ、たくましく成長するかに、関心を持っておられます。」

そして私たちは、自分の中で握っている良くない古いものを、脱ぎ捨てていく必要があります。コロサイの信徒への手紙 3 章 5~10 節「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。

あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」

神様に愛されている皆さん、御聖霊によって、あらゆる世代が、キリストに倣いて、成長、成熟してゆく年となりますように。日々祈り、御言葉を頂き、御聖霊によって、ビジョンと幻と夢を頂いて、御聖霊によって、成熟しつつ、実現させて頂きませんか。お祈り致します。

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