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2023.10.15サムエル記上 12 章 1~25 節「主を恐れ敬い仕える幸い」

牧師 松矢龍造


人が人生の最期に近づいた時の言葉は、後世に永く遺るものです。士師にして預言者、祭司であり民の指導者であったサムエルの告別の辞・遺言の言葉が、今日の御言葉となっています。新しく王が立てられ、士師として政治的、軍事的職務は、サウル王に継承しました。しかし最後まで、預言者として、祭司として務めは終わりまで続くので、放棄していません。 すなわち、祈り執成す祭司としての務めと、神様の真理を伝える預言者としての務めを果たし続けます。23 節「わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。」 サムエルは、執り成しの祈りの力と必要を知っていました。そして執り成しの祈りを怠ることは、罪を犯すことであるとしています。すなわちイスラエルの国民の為に、祈りを止めて、神様に対して罪を犯すことは出来ないとして、最期まで執成し続けました。承 かつて信仰の父アブラハムは、執り成しの祈りを捧げ、神様から、み使いが遣わされ、甥のロトをソドムの滅亡に巻き込まれることから救い出すことに繋がりました。創世記 19 章 29 節「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」 またイエス様の執り成しは、弟子であるペトロを、堕落の瀬戸際から、引き戻しました。ルカによる福音書 22 章 31 節 32 節「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 私たちも、新約時代の万人祭司として、執り成しの祈りの務めに召し出されています。家庭の為に、教会の為に、社会や国や世界の為に、日々、執り成しの祈りを捧げることが出来ますように。先日、「オペーレーション日本祈りのガイド」という祈祷書が送られて来ました。日本の各地を 365 日に分けて、執り成しの祈りを捧げる為のガイドが記されています。 各地の教会の為には、リバイバル・霊的復興と教会の一致、指導者訓練、弟子訓練、礼拝の再活 性化、宣教の為です。また日本における環境については、宗教的カルト集団と異端に人々が陥ることがないように。社会に宗教離れが起こらないように。都市離れと高齢化社会の為。若者の問題や経済不況、出生率の減少と教育の問題。そして日本の犯罪の減少が、祈りの内容となっています。 私たちの日々の、祈りの課題として、ご聖霊様の助けを頂いて、執り成し続けることが出来ますように。 サムエルは、晩年となりまして、イスラエルの民に告別の辞を伝えます。先ず証人の前で、自分が何一つ訴えられることがない歩みをしてきたことを確認させます。それは、この後に述べることに、権威があることを示す為でもありました。 律法によれば、物事を立証するためには、最低 2 名の承認が必要とされています。申命記 19 章15 節「いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない。」 サムエルは、神様に真実に仕えてきたことを、証人たちの前で、民に尋ねました。民は、サムエルの問いに対して、何一つ訴えることは見出させなかったと言いました。そして主が証人であり、サムエルが語る内容も、真実であると、民は考えました。使徒パウロは、自分自身と教えに注意しなさいと伝えています。自分自身に訴えられることがあれば、教えは権威を失ってしまいます。また自分自身に訴えられることがなくても、教えに偽りがあるなら、それも権威を失ってしまいます。 テモテへの手紙 4 章 16 節「自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」 ここまで、サムエルは、自らに偽りのないことを立証してきましたが、今度は、サムエルが原告となって、イスラエルの民を糾弾します。イスラエルの歴史は、創造主なる神様に対する不信の歴史である同時に、神様の赦しの歴史でもありました。そして、イスラエルの民は、神様に背き、その中で神様に裁かれ、苦悩の末、彼らは神様に立ち返るということをも、繰り返してきました。 サムエルは、先ずイスラエルの歴史の中から、モーセとアロンについて言及します。創造主なる神様は、エジプトの地で奴隷であったイスラエルの民をモーセとアロンによって、解放しました。出エジプト記 6 章 26 節「主が、『イスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出せ』と命じられたのは、このアロンとモーセである。」 モーセは、預言者にして指導者として、創造主から立てられ、アロンは、モーセの兄で、イスラエルの初代の大祭司として、主によって立てられました。続いて、士師たちが、主に用いられ、民が解放された歴史が続きます。 ギデオンは、ミディアン人から、イスラエルを救うために用いられました。エフタは、アンモン人からイスラエルを解放する為に用いられました。そしてサムエルは、ペリシテ人に対して、イスラエルを立ち上がせる為に用いられました。 民の叫びに応えて、イスラエルを救われたのは、モーセやアロンではなく、この二人を遣わされた主ご自身でした。また悔い改めて、主に叫んだ民を救われたのも、ギデオンや他の士師ではなく、彼らを遣わされた、主に他なりません。そしてアンモン人のナハシュが攻め上って来た時も、サウル王ではなく、主によって勝利が与えました。 敵であるシセラやペリシテ人やモアブ人の王は、いわば堕落したイスラエルを懲らしめる手として、主が用いられたに過ぎません。これらの周辺諸国が攻めてくる時、イスラエルの民は、悔い改めて主に立ち返るのではなく、周辺諸国のように人間の王を求めました。 サムエルは、言います 14 節 15 節「だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちも、あなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい。しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら、主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る。」 イスラエルの民は、目に見える王が与えられたことによって、目に見えない主の主、王の王である神様を粗末にすることは許されませんでした。サムエルは、加えて自然現象によって民に警告を与えることを主に求めました。神様は、しばしば自然の現象を通じて、人に語られます。 16 節 17 節「さあ、しっかり立って、主があなたたちの目の前で行われる偉大な御業を見なさい。

今は小麦の刈り入れの時期ではないか。しかし、わたしが主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。それを見てあなたたちは、自分たちのために王を求めて主の御前に犯した悪の大きかったことを知り、悟りなさい。」

普通は、雨の降らない小麦の刈り入れの時に、サムエルは、天からの雷と雨を請い求めました。そしてその祈りに応えられるという奇跡を通して、民の罪がどんなに大きかったかを、民の心に刻印しようとしました。

サムエルが主に祈りますと、時期外れの雨が、雷を伴って降ってきました。すると民は、大いに恐れ、これまでの罪に加えて、主を退けて、王を求める罪を犯した事実を思い知らされました。そして悔い改めて、執り成しをサムエルに求めました。

18 節 19 節「サムエルが主に呼び求めると、その日、主は雷と雨を下された。民は皆、主とサムエルを非常に恐れた。

民は皆、サムエルに願った。『僕たちのために、あなたの神、主に祈り、我々が死なないようにしてください。確かに、我々はあらゆる重い罪の上に、更に王を求めるという悪を加えました。』」これに対してサムエルは応えました。20~22 節「サムエルは民に言った。恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい。むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである。』」

ここで「空しいもの」とは、偽りの神々と偶像のことです。すなわち人間の手によって作られた像には、何の力もありません。続いて 24 節 25 節「主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう。」

ここで「悟りなさい」と訳された言葉は、「見なさい」「分かりなさい」「理解しなさい」とも訳せる言葉です。ですから「見分けなさい」「心に留めなさい」「考えなければならない」「よく見なさい」と訳している聖書訳もあります。

主を王としないなら、人間の王も、偶像となることを悟りなさい。そして「主がいかに偉大なことを、あなたたちに示されたことを悟りなさい」とあります。前進思考や未来思考になり過ぎて、神様が既になして下さったことを、思い起こす時間をとらないことがあります。神様が、あなたに対して、既にしてくださったことを思い出して、感謝する時間を持つことが大切となります。そして主に感謝しつつ、前進出来ますように。



偶像や人に頼るよりも、主に頼ることが常に大切です。また主を恐れることは、国の宝となります。そして神様を恐れる敬うことと、地上の指導者に忠義を尽くすことは、どこまでもつながって行くことが求められます。

詩編 118 編 8 節 9 節「人間に頼らず、主を避けどころとしよう。君侯に頼らず、主を避けどころとしよう。」イザヤ書 33 章6節「主はあなたの時を堅く支えられる。知恵と知識は救いを豊かに与える。主を畏れることは宝である。」

神様に愛されている皆さん。旧約時代の聖徒が遺した告別の辞また、遺言として、偶像や人ではなく、創造主して全知全能の救い主に、頼って行きませんか。そしてご聖霊によって、この主をのみ恐れ敬い、聴き従って行きませんか。お祈り致します。

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