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2023.2.26 ヨハネによる福音書 17 章 20~26 節「すべての人を一つにしてください」

牧師 松矢龍造


世界中で、一つになれずに苦しんでいます。白人と黒人、西側と東側、イスラエルとパレッスチナ、身近な親戚同士や、夫婦や親子の関係など、分断と争いが見られます。そして霊的には、天と地が一つとなれずにいます。

主イエス様が教えられた主の祈りの中に、「御心が天で行われるように、地にもなりますように」とあります。今日の御言葉には、三度祈られています。21 節「すべての人を一つにしてください。」22 節「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。」

23 節「彼らが完全に一つとなるためです。」

熊本県人吉市の教会に松尾ご夫妻と言われる方がいました。松尾兄は、80 代になるまで元僧侶で、晩年にキリストを信じて改宗し、寺を捨てた人物です。松尾兄の回心のきっかけは、夫人の回心でした。夫人は、駅前で配られていた教会の特別伝道集会のチラシを見て、生まれて初めて教会の門をくぐりました。

ただし、その時の話は、あまりよく分からなかったそうで、心に残っていないと言われます。しかし夫人の心を捕らえて離さなかった一つのこと、それは教会の中にあった、何とも形容しがたい和でした。老若男女、さまざまな人がいるのに、どうしてこれほど仲良くしていられるか不思議でした。夫人は、感動して家に帰りました。

それは自分の寺の現実と、あまりにもかけ離れていました。教会の美しい和と一致に魅せられて、夫人は、その翌日も教会に行きました。そしてやがて信仰を告白するに至りました。こともあろうに、寺の僧侶の奥さんが、キリスト教の信者になったのですから、後が大変でした。

まだ信仰を持っていなかった松尾氏は、何度もキリスト教信仰を捨てるように、夫人を責め立てました。しかしそれが繰り返されるうちに、ご主人にも、夫人の中に真の信仰があることが、少しずつ見えてきました。そしてやがて、ご主人も、真の神様を知るようなり、二人はすべてを捨てて、寺を出ました。その後、二人は、物置のような小さな小屋に住んでおられました。そして心に残る言葉を、そこで夫人が言われました。「今が私たちの生涯で最も幸せな時です。」この例を見ても、イエス様を信じる全ての者が、一つの群れとしての一致を保つように、祈られたわけが分かります。

イエス様が、前の箇所で、主イエス様にあって、新しい掟を言われた場面を思い出します。ヨハネによる福音書 13 章 34 節 35 節「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

夫婦の間に、内的、かつ人格的な一致があれば、それはおのずと外に現れ、誰の目に も、はっきりと認められることと同じです。世の人々は、教会が一つとなっている時に、父なる神様が、御子を遣わされることを信じるようになり、教会が一つとなっているときに、父なる神様が、イエス様を愛しておられたように、弟子たちをも愛しておられることが、世に知るようになります。

それでは、17 章 20 節をもう一度。「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」十字架につけられる金曜日の前の木曜日の晩に、イエス様が、真の霊的な大祭司として、祈られた内容が 17 章に展開されてきました。1 節から 8 節までは、ご自身に関する祈りであり、9 節~19 節までは、弟子たちの為に執成しておられました。そして今日の御言葉である 20 節から 26 節までは、弟子たちの

証の言葉によって、信じるようになった人々、すなわち後の教会の為の祈りです。いわば、1900 年以上も前に、私たちの為に祈って下さったのです。

21 節「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」

父なる神様と、御子なるイエス様を一致の模範として、弟子たちを通して集められる信仰者の群れ、すなわち教会の一致を願い、祈られています。この一致は、ただ神様のご臨在と力とにより、賜物として生き出されるものです。私たちが、キリストに連なる時、私たち全ては、互いに霊的に連なっています。ですから、霊的な一致は、すでに存在しています。その一致を保つようにすることです。

この一致を保つことは、単に形式的、表面的、組織的な一致ではありません。それはイエス様の真意ではありません。愛の共同体としての教会の一致のことです。その時に、世は、父なる神様が、イエス様をお遣わしになったことを信じるようになります。

22 節「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。」父なる神様が、御子イエス様にくださった栄光とは何でしょうか。世界が創造される前に、先在の御子キリストは、父なる神様の御前で栄光に輝いておられました。それが人となって地上に来られた時に、捨てられました。そして私たちの罪の身代わりとなって十字架につけられ、復活と昇天によって、再び栄光を受けられました。

イエス様は、その栄光を、教会の一致の為に、教会である私たちに、お与えになりました。その栄光とは、御子なるイエス様の内にある永遠の命に生かされる時、信仰者は栄光に預かります。ならば、私たちは、日々、高く上げられた主イエス様と交わり、永遠の先からキリストが持っておられた栄光について、黙想することが大切になります。

23 節「わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」

主イエス様が、信仰者の内におり、父なる神様が、主イエス様の内におられることによって、父なる神様の愛が、主イエス様を通して、信仰者に注がれます。あたかも、キリスト愛するように、父なる神様が、キリスト者を愛することができるのは、主イエス様が、キリスト信者の中におられるからです。

ある方が言われます。「この私が、目の中に入れてもいたくないほどに、父なる神様にとって、いとしいものとなるのは、私を愛する父なる神様の愛は、御子を愛する愛と、同じだからである。」なんという、もったいないほどの愛でしょうか。

ある神学者も言われます。「御子を地上に遣わされた時に、父なる神様が願っておられたことは、まさに人類のただ中に、ご自身に似た子どもたちから成る、ご自身の家族を形作るに、ほかならなかった。」この神様ご自身の家族が、地上に形作られたなら、父なる神様

が御子をこの世に遣わされ、御子を愛されているように、教会の一人ひとりを愛しておられることを、世が知るようになります。まさに宣教の前進となります。

24 節「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」

神の御子イエス様は、天地創造の前から、父なる神様と共に存在されており、父から愛されていました。その栄光を、弟子たちに見せると言われています。栄光と訳された原文の言葉は、「完全さの輝き」あるいは「その聖、義、愛、救いと贖罪の御業などの卓越性を表現する」などの意味合いがあります。

ヨハネによる福音書を最初に読んだ、一世紀の教会は、異端であるグノーシス主義やユダヤ教によって、分裂の恐れが生じていました。そんな中で、キリストの体ある教会に対して、神様の愛の証人として、一つとなって欲しいと願われました。キリスト者はみな、等しく、復活の栄光を頂いているのです。

25 節「正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。」

H・B スウィートという神学者言います。「神様の聖さは、神様がその聖徒たちを、世の悪から守る保証であり、神様の正しさは、神様が彼らを捨てないことの確証である。」

26 節「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

イエス様の霊的大祭司としての祈りの結びは、世の無知に対する、弟子たちの御子を通しての、父なる神様を知る知識と対比します。父なる神様の愛が、キリスト者の内にあ り、主イエス様が、御霊によって、キリスト者の内におられる。それが世に現れることになりますように。

ある方が言われます。「キリストを見ていると、御父を見ているようであったが、クリスチャンを見ていると、キリストを見ているようだ。」このように、世の人々から見られる、愛の教会共同体の形成を願い、祈ります。

内的な霊的一致は、必ず外なる一致を伴います。私たちの信仰の本質は、キリストの十字架と復活を信じていることです。また使徒信条の内容である、三位一体の神様を信じていることが本質です。それ以外は、周辺のことです。本質以外は、多様性を認め合い、寛容な信仰生活となりますように。そして、ご聖霊による一致を保ち、父・子・聖霊なる神様との交わりの中で、隣人に証しする、信仰と希望と愛の共同体と、さらになって行きませんか。お祈り致します。


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