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  • 執筆者の写真CPC K

2023.3.5 「わたしはある・イエス様は全能の神である」

牧師 松矢龍造

イスラエルに研修に行かせて頂いた時、必ず訪れる場所の一つは、ゲッセマネの園です。エルサレムの東側にありますオリーブ山の麓に位置します。ゲッセマネの園には、樹齢 2 千年になるオリーブの木がありました。この所で、イエス様は、血の汗流し、祈られたのかと思いますと、深いたたずまいの中で、黙想が導かれます。ここには、万国民の教会と言われる記念教会が建てられております。世界中の教会から献金が集められて建てられた教会なので、万国民の教会と言われています。中に入りますと、一番奥の所に、イエス様が祈られた岩の場所があります。

このゲッセマネの園から、キドロンの谷を挟んで、エルサレムの城壁の東門が見えます。そこは、閉じられた黄金の門であり、イエス様が、世の終末に再臨されて、オリーブ山に降り立ち、そこからエルサレムの東の門・黄金の門を通って、エルサレムに入られると預言されています。

このキドロンの谷には、世界中のキリスト者の墓があります。キリストが再臨された時、最初に復活させていただきたいという信仰によって、ここに墓を購入して、葬られることをよしとした人たちの墓です。

イエス様は、ゲッセマネの園で、度々祈られましたが、苦難と共に、東の門・黄金の門を見ながら、やがての栄光を望み見ておられたのではないかと考えました。ですから、ゲッセマネの園からも、イエス様の苦難と栄光の両方を、思いました。

それでは、18 章 1 節からもう一度拝読致します。「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。」

最後の晩餐において、洗足式と聖餐式、訣別説教と大祭司の祈りをなし終えて、イエス様は、弟子たちと共に、キドロンの谷の向こうに出て行かれました。その途中の石だたみの坂は、今でも現存されています。そこに立ちますと、ここでも、深い瞑想の時となります。

ケデロンの谷は、エルサレムの南東を流れる谷川で、オリーブ山との境にあります。この川の水は、南方に流れて、死海に入ります。イエス様が、このケデロンの谷を通られるのは、これから十字架の死に向かわれることを暗示しているかのようです。

2 節「イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。」

イスカリオテのユダは、イエス様が、ゲッセマネの園で、多くの時間、祈りに費やしておられることを知っていました。ですから、イエス様を捕まえる人たちを、この園に誘導して来たのです。けれど主イエス様の方も、見つかるのを待つのではなく、ご自身を捕まえる人たちに会おうと、自ら出て来られたのです。

3 節「それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明や、ともし火や武器を手にしていた。」

一隊の兵士や下役たちは、松明や、ともし火や武器を手にして来たとは、実に、ものものしいです。まるで凶悪な強盗犯を捕まえでもしそうな勢いです。まさにイエス様が、どういうお方 か、分かっていないことの表われです。

ここで、ユダとその一隊が、宗教と政治において、悪に染まり、その目的を達成する為に、武力に依り頼む世界を代表していると見る人がいます。ロシアのウクライナ侵攻のことが、心をよぎります。

4 節「イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、『だれを捜しているのか』と言われた。」ここでイエス様が「何もかも知っておられ」とありますが、「知って」とは原文では、「わきまえている」「見抜いている」「悟っている」という意味でもあります。イエス様が、ゲッセマネでの園で、御自分の身におこる捕縛を、悟り、わきまえ、見抜いておられました。

5 節6節「彼らが『ナザレのイエスだ』と答えると、イエスは『わたしである』と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが『わたしである』と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。」

イエス様が、何ら隠れることなく、「わたしである」と言われたその声には、神的な響きがあったのでしょう。イエス様が、逃げもせず、どうどうと、ご自身のことを言われるその神的な響きに、捕まえようとして来た彼らは、驚き、後ずさりして、地に倒れるほどでした。

マーシュー・ヘンリーという聖書学者が次のように言われていました。「人民が、イエス様を擁立して、王としようとした時には、キリストは、避けて山に退かれた。けれども、人々がイエス様を捕まえて引き行きて、十字架につけようとする時には、キリストは、進んで、自らを敵に渡された。キリストは、苦しむために、この世に来られ、支配する為なら、かの世に去られるのである。」

別の面で言えば、第一のアダムは、エデンの園で堕落して身を隠しました。けれど第二のアダムであるイエス様は、進んで、敵の面前に出られました。前者のアダムは罪を犯した者ですが、後者イエス様は、罪なき人であったからです。

ユダは、ここで初めて、他の弟子たちの前で、公然とイエス様を裏切りました。まさか会計担当をして信頼していたユダが裏切るとは、弟子たちには、思いもよらないことだったでしょう。しかし私たちの内側にも、ユダの心が、思いもよらずに、潜んでいるのではないでしょうか。

7 節 8 節「そこで、イエスが『だれを捜しているのか』と重ねてお尋ねになると、彼らは『ナザレのイエスだ』と言った。すると、イエスは言われた。『【わたしである】と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。』」

ここで「わたしはある」と三度も繰り返されています。この「わたしはある」を強調された意味は、何なのでしょうか。第一に、「わたしはある」とは、イエス様が、全能者にして創造主であるということです。万物を創造された神様であるので「わたしはある」と言われたのです。

第二に、「わたしはある」と言われたのは、ご自身のことを強調して捕まり、他の弟子たちを逃がす為でした。9 節です。「それは、『あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした』と言われたイエスの言葉が実現するためであった。」

前の 17 章 12 節にこう言われていました。「わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。」これが、成就したのです。

第三に、「わたしはある」と言われたのは、父なる神様の御心を、必ず成し遂げるという決意の表れです。悪の力に対する勝利は、イエス様御自身が、神の怒りの杯を飲むことによってのみ可能です。キリストが、その杯を一人で、その最後の一滴まで飲み干すことが、父なる神様の計画であることを悟っていたことの表われです。

10 節「シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。」

イエス様を捕まえようとして来たのは、大勢であり、武装している兵士たちもいました。その中で、一人剣を抜いたペトロは、まさに勇気の塊のようであったでしょう。そのことだけは、軽く評価してはならないことでしょう。

11 節「イエスはペトロに言われた。『剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。』」

もしここで、ペトロが、手下のマルコスを殺していれば、イエス様は、十字架に至ることなく、神様の贖いと救いの計画が挫折していたでしょう。私たちは、時折、自ら行動して、無理矢理、決着をつけてみたくなるのではないでしょうか。そのような動きは、多くの場合、罪を引き起こします。

イエス様の言われた杯とは、一つに、イエス様が、世の罪を贖う為に、耐えなければならない受難のことです。二つ目に、十字架で死ぬことです。三つ目に、私たちの罪の身代わりとして、神様から捨てられ、分離される霊的な痛みのことです。

ここで、イエス様は、武器一つ持たず、軍勢にもより頼まず、圧倒的な敵の勢力を前にして、弱弱しくさえ映ります。それにもかかわらず、主イエス様は、天の父なる神様に、心から服従することに由来する、目に見えない、神様の力を有していることが暗示されています。

父なる神様は、必ずご自身の計画をやり遂げてくださるお方であり、このことを私たちは、確信することがとても重要です。

そしてイエス様は、「わたしはある」と三度強調して、まさに弟子たちをかばって、自分だけ捕らえられようとする救い主の面影が、ここにもあります。そこに教会の在り方が示されているのではないでしょうか。最後に、イ・ジェフンという方の「福音のすばらしさを証明する生き方」という内容を受け留めます。「教会の使命は、福音が真理であることを、この世に示すことです。では、その使命を果たすためには、どうすればいいのでしょうか。それは歴史の中で、福音が伝えられた所に、教会を通して起こったことを見れば分かります。

韓国の場合には、クリスチャンとして生まれ変わった人々が、社会の悪い習慣を打破するために、大きな役割を果たしました。特に、1890 年代には、奴隷制度を撤廃すると発表し、男尊女卑思想に染まっていた社会の中で、教会が女性の権利を取り戻し、女性教育に力を注ぎました。

1950 年の朝鮮戦争以後、多くの避難民や孤児たちを助けることも、教会が先頭に立って行いました。また、ハンセン氏病の治療、結核の撲滅、禁煙・禁酒運動、農村啓蒙運動などの先駆けとなるなど、社会改革の中心に教会がありました。聖なる巡礼者たちの良い行いが、その時代に助けと改革が最も必要な領域で示されたのです。教会は、福音のすばらしさを、良い行動によって現わさなければなりません。マルチン・ルターは、良いサマリア人のたとえを、このように解釈しました。『もし私がここで立ち止まって、この人を助けたなら、私はどうなるだろうか。』しかし良いサマリア人は、その問いをひっくり返しました。『もし私が、この人を助けなかったなら、この人はどうなるのだろうか。』私たちは、生きている間、強盗に襲われた人に、何度も出会うでしょう。そのたびに、このように問いかけてみるべきなのです。」

神様に愛されている皆さん、主イエス様が、最後まで、自分を捨て、私たちの救いの為に、ご自身を捧げられました。まさに「もし私が、この人たちを助けなかった、この人たちはどうなるだろうか」。

私たちが、滅び失せないとしたら、それは主イエス様が、十字架で身代わりに死んでくださったからです。この主イエス様の愛に、ご聖霊によって応えて、福音を真理として、隣人に接して行きませんか。お祈り致します。


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