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2023.5.28NGW 使徒言行録 2 章 32 節『ご聖霊の力を受けて復活の証人となる』

「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」


牧師 松矢龍造


ご聖霊の降臨祭であるペンテコステ礼拝を感謝し、主の御名を讃美致します。希望が丘教会は、カンバーランド長老キリスト教会の群れに属しています。今から約 200 年前の、18 世紀のことです。アメリカのテネシー州の近くにありますカンバーランド地方において、著しい、ご聖霊の御業が興りました。そして多くの人たちが、キリストを信じて、多くの教会が、カンバーランド地方に誕生して行きました。さらにその地方にいた、ならず者と言われる、素行が悪い人の生活まで変えられてゆくという奇跡まで起こりました。 一度に多くのクリスチャンと教会が誕生しますと、そこに沢山の牧師を立てなければなりません。当時、イギリスからアメリカに宣教師たちが来て誕生した長老教会では、一定の間、イギリスの神学大学に留学しないと、牧師の資格が与えられませんでした。けれど、ご聖霊による著しい御業が興り、多くの信者と教会が誕生しますと、牧師を養成することは、それでは間に合いません。 そこで、国内のアメリカだけで、牧師を養成する為には、アメリカ長老教会から分かれなければなりませんでした。三人の牧師たちが、テネシー州にあります丸太小屋で、徹夜の祈りをして、カンバーランド長老キリスト教会が誕生しました。いわば、私たちの属するカンバーランド長老教会は、御聖霊の著しい奇跡の御業によって誕生した群れです。 イエス様が、十字架に付けられる時、お弟子さんたちは、イエス様を見捨てて、皆逃げてしまいました。ペトロさんなどは、他の人が、イエス様を見捨てても、私だけは、最後まで、イエス様についてゆきますと言いました。ところが、大祭司の庭で、イエス様が裁判を受けている時、ペトロさんは、女性たちから、三度、イエスの弟子でしょうと問われ、一度、二度、三度も、イエス様なんか知らないと、否認してしまいました。そして大祭司の庭の外に出て、激しく泣きました。 そんなペトロさんたち、逃げた弟子たちに対して、復活されたイエス様は、なお兄弟たちと言って、見捨てて逃げ出した、お弟子さんたちの存在を、あるがままで、そのままで受け入れてくださいました。そして十字架につき、復活されたイエス様を、全世界に、宣べ伝えなさいと命じられました。 ただし、そのままでは、また困難なことや迫害を受けると、また逃げ出してしまうので、ご聖霊を受けるまで、都に留まっていなさい。そうでなければ、復活の証人になることは、決して出来ませんと言われました。 私も、18 歳の時に、牧師になる召命を受けたのに、ご聖霊の助けを求めなかったので、逃げてしまった者の一人なので、そのことがよく分かります。 復活されたイエス様は、40 日間、2000 人以上の、男性や女性や子どもに現れて、そしてオリーブ山から、天に昇られました。そして 10 日後、イエス様が復活されてから 50 日後に、ご聖霊なる神様を、父なる神様と共に、イエス様は、天の御国から、ご聖霊なる神様を、私たちの助け主として、遣わしてくださいました。ペンテコステとは、ギリシア語で、50 日目を意味します。

使徒言行録 1 章 8 節「あなたがたの上に、ご聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

イエス様が、復活され、ご聖霊を遣わされたことによって、第一に、イエス様が、私たちの罪の為に、十字架につけられたことが、本当に、私たちの罪の身代わりとなられことの証明になりました。

第二に、イエス様を信じるなら、罪が赦されるだけでなく、永遠の命が与えられることの証明にもなりました。

第三に、イエス様が、天に昇られて、天の御国に行かれたように、私たちも、イエス様を信じるなら、肉体の死を迎えた時、復活して、天の御国に入れて頂けることの保証となります。

第四に、ご聖霊の力を頂いて、復活の証人とされる力と、大胆さが与えられることを示されました。

第五に、私たちの人格や品性が、造り変えられ続けて、愛の人に、御聖霊によって、造り変えられ続けて頂けます。

第六に、世の終わりまで、常に、復活されたイエス様は、ご聖霊によって、私たちと共にいてくださることを証明されました。マタイによる福音書 28 章 19 節 20 節「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

そして第七に、イエス様が、復活されたので、神様の愛は、死よりも強いことを証明されました。死は最後の的、絶望を生み出すものです。イエス様の復活は、あらゆる希望の源です。ですから、どんな状況になっても、どこでも、いつでも、私たちは、希望を持つことが出来ます。最も素晴らしいものは、これからきます。エレミヤ書 29 章 11 節「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」

悔い改めて救いを受け、証しをする為には、神様からの恵み・カリスと、神様からの賜物・カリスマが必要です。救いは、神様からの恩恵であり、恩寵であり、信仰によって与えられる無償で無尽蔵、無代価な恵みです。特に資格や行い、人間的な限界を超えて、キリストを信じる全ての人に及ぶものです。

また神様からの賜物は、キリストを信じた者たちに、神様の働きをする為に委ねられる、賜物・カリスマです。無償の賜物、恵みの賜物、特殊能力です。恩寵の力、天賦の霊的な賜物です。

宣教には、この神様からの恵み・カリスと、神様からの賜物・カリスマが、必要不可欠です。天的な知恵、癒しの賜物、力ある業、異言、預言、そして愛の賜物などが、宣教や愛の業の為に必要です。あなたも、ご聖霊から力と賜物を受けて、ご聖霊に満たされ、復活の証人となってゆきませんか。お祈り致します。

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