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2023.5.31箴言 12 章 1~12 節 「諭しを愛する人と懲らしめを憎む者」

牧師 松矢龍造


一般的に、叱られることは、誰でもいやです。しかし後に、不思議に叱られたことは、なつかしくなるときがあります。私も、父の諭し、母から叱られたことは、今になって、なつかしくなります。愛を持って本当に諭し、叱ってくれる存在は、本当は、貴重で大切なことです。 逆に、建設的な批判を拒絶する人には、高ぶりという問題があります。そのような人は、ほんの少ししか、学ぶことが出来ません。懲らしめを憎むことは、実は損をする生き方となります。今日の御言葉の冒頭の 12 章 1 節には、こうあります。「諭しを愛する人は知識を愛する。懲らしめを憎む者は愚かだ。」 ここで「諭しを愛する人」とは、神様からの諭しや懲らしめを愛する人とも考えられますが、親の諭しや知恵の言葉を愛する人のことを指すことが、第一に言われているようです。 さらに親や神様からだけでなく、隣人からの訓戒と叱責を受け入れ、他者の知恵から学ぶ意志を持つことも含まれるのではないでしょうか。もし学びたくないのであれば、何年もの学校生活があっても、学ぶことは、ほんの少ししか、得られないでしょう。しかし教えられたいと思うのであれば、学びえることに、終わりは来ないでしょう。 私の父の遺してくれた言葉の一つに、「一生最後までが学びである」と言われたことがあり、よく思い出します。父が天に召された時は、新約研究をする為に、トルコに研修に行かせて頂いた時でした。成田空港から、トルコに向けて出発する際に、空港から新潟県に住んでいた父に電話しました。 「トルコに行ってきます」と伝えると、「気をつけてな」と言ってくれた言葉が、地上での最後の言葉になりました。それでよけい、「一生が最後まで学びである」との父の言葉が、今でも心に残ることにつながっています。 叱ってくれる人が多くいて、その叱責を、心を開いて受け入れる人こそ、成長してゆく人です。叱られると反発したり、すねて受け入れなかったりする人は、伸びる可能性がないと言えます。 そして人生で、最も素晴らしい叱責や訓戒は、神様によるものではないでしょうか。神様からの叱責や訓戒を、受け入れる人は、いよいよ神様の心に近づいてゆきます。神様からの叱責や訓戒の中には、時に、病と孤独があり、その時は、神様の叱責と訓戒を学ぶ大切な機会です。 今日の御言葉である箴言 12 章 8 節には「人は見識のゆえに賞賛される。心がいじけている者は侮られる。」とあります。諭しや訓戒を聞き入れる人は、見識があり、心がいじけていて、懲らしめを憎む者は、愚かです。 続いて箴言 12 章 2 節3節「善人は主に喜び迎えられる。悪だくみをする者は罪ありとされる。神に逆らえば、固く立つことはできない。神に従う人の根は揺らぐことがない。」 2節で、「善人」とありますが、正義と公正をもって人に接することが知恵ある生き方であり、聖書の律法が命じている生き方でもあります。逆に、悪だくみをするなら、全ては神様がご存じであり、罪ありとされます。 しかし私たちは、善人として歩んで、主に喜び迎えられたいですが、肉の力では、善を行うことが出来ず、かえってしたくない悪を行ってしまいます。使徒パウロもローマの信徒への手紙 7 章 18節 19 節で告白しています。 「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」ですから、誰でも、救い主イエス・キリストの救いが必要です。それでこそ、神様に従い、揺らぐことの歩みと繋がって行きます。 続いて 12 章 4 節「有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。」有能な妻とありますが、妻と子の行いが、夫や父親の、社会的な地位と名誉を左右する要素の一つでした。それは今でも通ずることでしょう。なお有能なという意味は、能力のある、生産的な、豊かな、才能に富んだということでもあります。家庭での豊かさは、社会での豊かさや、教会での豊かさに繋がって行きます。 5節「神に従う人の計らいは正義。神に逆らう者の指図は、裏切り。」ここで「計らい」と訳された言葉は、原文では、「思い」「目的」「計画」という意味でもあります。神様に従う人は、思いと目的と計画が、全て正義に基づくようにと勧められています。 逆に「神に逆らう者の指図」とありますが、「指図」と訳された言葉は、「舵をとる」という意味でもあります。神様に逆らう者は、その人生の舵を、裏切りに向かわせます。ですから神様に逆らうところの悪者の言いなりになり、舵を任せておくと、騙されて、とんでもない方向に行ってしまうので、気を付けよという警告でもあります。 6節7節「神に逆らう者の言葉は、待ち伏せて流血を犯す。正しい人の口は自分を救う。神に逆らう者は覆って滅びる。神に従う人の家は耐える。」神様に逆らう者の言葉は、血を求めて、待ち伏せています。すなわち他人を非難して、陥れようとしているということです。しかし他人を傷つけようとしても、結局、自分自身が傷つくだけです。 9節 10 節「軽蔑されていても僕を持っている方が、尊敬されていてパンを欠くよりよい。神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。神に逆らう者は同情すら残酷だ。」 旧約時代は、財産や家畜も、神様に従う者への神様からの祝福と見なされることが一般的でした。しかも家畜の求めるものまで知っているなら、さらに祝されるとあります。神様は、動物をも造られ、自然界の動物を顧みておられます。律法にも、家畜への正しい扱いが命じられています。 ある賢者が言われていました。「その家畜に功徳を及ぼさないような宗教は、無価値な宗教である。」またある方は「正しい人と悪しき人との違いは、動物に対する扱い方にも表れる」と言っていました。神様から造られた被造物を大切にするか否かは、神様の御前に、正しい人と悪しき人を区別する一つの基準となるということでしょう。 続いて 11 節「自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。意志の弱い者は空を追う。」勤勉の勧めですが、意志が弱く、怠けるなら、空を追うことになります。ここでの「空」とは、器の中に何もない状態を指し、価値のない、空しいことを意味しています。 そして 12 節「神に逆らう貪欲は、悪人らを捕える網となる。神に従う人の根は実りを与える。」神様に逆らう貪欲は、悪人らを捕らえる網となるということで、地獄への三つの道のことを思い出します。イエス様も、滅びに至る門は広いと言われました。

マタイによる福音書 7 章 13 節「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」

滅びに通じる広い門とは、「だれでもやっているから」「ちよっとだけだから」「見つからなければよい」ということが、その一つとして思い出されます。けれど、ともすると、狭い門ではなく、いつのまにか広い門に向かっているのではないでしょうか。

むしろイエス様に根を、しっかりとはるなら、良い実が結ばれてゆきます。すなわちイエス様に、深く根を張るなら、嵐の時にも耐え、素晴らしい収穫をもたらします。そして深く根を張るとは、岩の上に家を建てること通じます。

マタイによる福音書 7 章 24~27 節「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

神様の御前に、正しい人とは、神様の愛や、神様の力、神様の働きを、慕い求め続ける人のことです。ならば、神様に背くことを、何よりも嫌います。これらのことに気付かない時、神様はあえて、困難や試練を許される時があります。

人生は、落ち目になった時、本当の人の情けが分かると言いまが、最も気が付いて欲しいことは、 人から忘れられた時も、じっと見守っていてくださる神様の愛を、しみじみと気が付くことです。さらに神様の中に、喜びと真の命、愛と使命を見出す時、正義と公正に生かされ生きてゆく恵み が与えられます。自分の目は、独りよがりの危険が伴います。また他の人の目や他人の評判を気にして、自身を失うことも危険です。

むしろ聖書を通して、神様の目から視点や、キリストご自身の中に自分自身を見出すならば、弱さの中で、神様の力に依り頼みます。また悔い改めて、主を見上げるなら、短所を長所にしてくださいます。

コリントの信徒への手紙二 12 章 9 節 10 節「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」

そして神様に従うなら、家庭や教会や社会において、共同体を導く、リーダーシップとなって行 きます。先が見え、計画が立てられ、人を説得出来、正しさと、無私の心で、共同体に仕えます。私たちは、何を愛しているでしょうか。訓戒や善、また正しさやしっかりした態度、そして思慮 深さと勤勉を愛する人は、主にあって、豊かな人生へと導かれて行きます。あなたも、御聖霊の導

きに従って、諭しと訓戒を大切にして行きませんか。お祈り致します。

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