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2023.5.3箴言 11 章 1~11 節 「偽り高慢逆らいか、誠実謙遜従順か」

牧師 松矢龍造


昔は、重さを計るのに、おもり石や天秤が使われていました。現在では、通商産業省の検定によって、十全な量りが基準として用いられています。しかし現在でも、銀行の不当なお金の動かし方があり、詐欺や不正が横行をしています。あるクリスチャンの大工さんは、釘を通常は3本打てばよいところを5本打ったり、手間暇をかけて家を建てたりしています。すると喜ばれ、信頼され、住む人にも喜ばれ、仕事も祝福され、下職の人も25年以上も続いて、一緒に働いてくれています。安心して何かを任せられる人とは、正直で誠実な人です。

今日の御言葉の冒頭の11章1節では、「偽りの天秤を主はいとい、十全なおもり石を喜ばれる。」売買に使われる天秤のおもり石が公正なものか否かが語られています。利益を多く得る為に、不当に天秤やおもり石に細工する商人がいました。それは一時、富を得ても、やがて信用を失い、裁かれます。3節に「正しい人は自分の無垢に導かれ、裏切り者は自分の暴力に滅ぼされる。」とあります。

不正な秤や、おもりを使うことは、律法においても禁じられていました。レビ記19章35節26節「あなたたちは、不正な物差し、秤、升を用いてはならない。正しい天秤、正しい重り、正しい升、正しい容器を用いなさい。わたしは、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。」さらに申命記にもあります。25章13~16節「あなたは袋に大小二つの重りを入れておいてはならない。あなたの家に大小二つの升を置いてはならない。あなたが全く正確な重りと全く正確な升を使うならば、あなたの神、主が与えられる土地で長く生きることができるが、このようなことをし、不正を行う者をすべて、あなたの神、主はいとわれる。」

残念ながら、イスラエルの北王国にも、南王国にも、預言者の時代においても、不正は後を絶ちませんでした。アモス書8章5節「お前たちは言う。『新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。』」ミカ書6章10~11節「まだ、わたしは忍ばねばならないのか、神に逆らう者の家、不正に蓄えた富、呪われた、容量の足りない升を。」神様は、全てを見ておられます。そして神様に頼り、不正をなさず公正に歩むなら、最後には、神様が報いて下さるという深い自覚を持つことが、主にあって出来ますように。

続いて2節には「高慢には軽蔑が伴い、謙遜には知恵が伴う。」高慢は深刻な愚かさです。高慢によって、人は神様に逆らうようになり、神様の戒めを捨てて、富に頼り、神様ではなく、自分の力を信頼するようになります。謙遜と知恵は、表裏一体であり、謙遜を持てば、知恵が神様からの賜物であることを認めることが出来ます。逆に高ぶると、周りのものが見えなくなり、また認めたくないので、認めません。そして他人から学ぶことなく、神様も見えなくなります。もし、人がへりくだるなら、自然界に対して心が開かれ、他の人から学び、自分の不十分さを知って、心が神様に向かい、神様を求めます。そして神様によって、最上、最高のもので満たされます。

高ぶりの例では、神の人モーセのリーダーシップを非難した姉のミリアム。裁かれ重い皮膚病となりました。また祭司でもないのに神殿でいけにえを捧げて裁かれたウジヤ王の例があります。そして偶像を強いた、バビロンの王ネブカドネザル王などの高ぶりの例があります。逆に謙遜の例は、エジプトに売られたヨセフ、またあくまでもサウル王に手を下さなかったダビデ。そして獅子の穴に入れられても、神様に祈り従ったダニエルなどの人物がいます。皆、謙遜の歩みの中で、祝福を受けました。ミカ書6章8節「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」主イエス様も、山上の説教で謙遜の必要を語られています。マタイによる福音書5章3節「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」

続いて4節「怒りの日には、富は頼りにならない。慈善は死から救う。」いかに財産が、堅固な城の役目を果たしても、主の裁きの前には無力です。財産が役に立たない時は、第一に、戦争、不景気、火事、地震、災害の時です。お金や宝石を持っていても、失ったり、価値がなくなったり、店がなければ飲食も出来ません。

第二に、心の中に巣くう罪の前にも、財産は無力です。そして第三に、死の前でも、財産は役に立ちません。むしろ主にあって希望に満ちた、きよい心と、慈善こそ、天に宝を積みます。そして最後の審判においては、財産は役に立ちません。財産は、最終的には、救いの日に役にたちませんが、神様より地上に与えられた召しを遂行する為に、財産を有効に用いる責任はあります。私たちは、財産をめぐる二面を、主にあって、わきまえる必要があります。

5節「無垢な人の慈善は、彼の道をまっすぐにする。神に逆らう者は、逆らいの罪によって倒される。」神様の知恵は、戒めと命の道を示します。死後の生でなくても、地上において、神様に逆らう愚かな生活は、悪人が味わう死に至ると警告しています。

6節「正しい人は慈善によって自分を救い、裏切り者は自分の欲望の罠にかかる。」ここで「裏切る者」と訳されている言葉は、原文では「不誠実に扱う」という意味でもあります。神様を敬わない者は、他人に偽りを告げ、誘惑して滅ぼそうとしますが、正しい者は、知識によって、神様を恐れ敬うことを告げ、人を誤った道から救おうとします。

続いて7節~9節「神に逆らう者は力に望みをかけ、期待しても、死ねばそれも失われる。神に従う人は苦難に陥っても助け出され、神に逆らう者が代わってそこに落とされる。神を無視する者は口先で友人を破滅に落とす。神に従う人は知識によって助け出される。」

ダニエルは、他の大臣たちの陰謀で、獅子の穴に入れられましたが、苦難の中で主が、獅子の口を塞ぎ、助け出してくださいました。しかしダニエルを陥れた大臣たちは、ダニエルに代わり、家族もろとも、獅子の穴に入れられて、食い殺されてしまいました。

10節11節「神に従う人が幸いを得れば町は喜び、神に逆らう者が滅びれば歓声をあげる。正しい人の祝福によって町は興り、神に逆らう者の口によって町は滅びる。」

悪徳の栄える町は滅びるのは、歴史が教えてくれる事実です。ソドムの街に、10人の正しい人がいれば、神様は、ソドムの街は滅ぼさないと言われました。しかしソドムの街には、10人も正しい人がおらず、天から硫黄が下って、裁かれ滅んでしまいました。今は死海の底に沈んでいます。

他にも、ノアとその家族は、洪水から救われましたが、神様に逆らい無視する人たちは、洪水で滅ぼされてしまいました。またハマンは、モルデカイとユダヤ民族を滅ぼそうと画策して、滅ぼされました。そしてサウル王は、不従順を繰り返して、王位から退けられ、滅びを招きました。ダビデは、罪を悔い改め、信仰によって、救いと勝利を頂きました。

神の民であり、キリスト者である者たちは、道徳や倫理においても、経済や政治において、信仰によって神様を恐れ敬い、公義と正義、平和と慈善を求めて、ご聖霊の力で実現してゆきます。飲むにも食べるにも、神様の栄光を求め、地の塩、世の光として、歩ませていただきます。

その際に、ご聖霊が用いられる要素は次のようなものがあります。父なる神様の愛、イエス様の救いと恵み、ご聖霊の交わりと導きに従うこと。さらに御言葉と教理、友の励ましと執り成し、忠告と助け、祈りと罪の告白、説教と模範などです。神様に逆らうことなく、悪しきを道でもなく、主に従い、良き実を結ぶ歩みとなりますように。

その為には、先ず罪を悔い改めて、キリストによって、霊的に新しく再生される必要があります。コリントの信徒への手紙二5章17節「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

そして心の中で考えることが、全て、神様の栄光の為となるようにします。コリントの信徒への手紙一10章31節「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」

さらに、地の塩、世の光として、この世に良い感化を及ぼすように、証の生活に生かされ、生きます。マタイによる福音書5章13節14節「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」

神様に愛されている皆さん、ご聖霊によって満たされて、思いと、言葉と、行動において、心を尽くして神様を愛し、隣人を自分と同じように愛する歩みとなって行きませんか。お祈り致します。




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