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2023.6.21恵みの祈祷会シリーズ・生活の中で神を知る(前半)

ヨハネによる福音書 1 章 38~39 節、16 章 13 節、ローマの信徒への手紙 12 章 2 節

『ご聖霊の力を受けて復活の証人となる』

牧師 松矢龍造 今回からシリーズで「生活の中で神を知る」という主題で、9回にわたって実施します。このシリーズは、私たちの信仰生活における霊性や霊操に関することでもあります。内容に関して、聖書に基づいて展開された、米国の牧師ジェームズ・ブライアン・スミス師の著書から多くのヒントを頂いています。 私たちは、毎日何を求めて生きているでしょうか。たとえば主イエス様が、山上で説教されたような人になりたいと思っておられる方もいると思います。山上の説教の中には、敵を愛し、何も思い煩わず、神と人を愛して生きることが教えられています。 しかし自分の心を探ると、敵を愛せない、ましてや友人や家族すら、真実に愛することを出来ない自分自身を見出します。イエス様のような信仰生活、霊性、霊操を身に着けたいと願いますが、正直、自分の中に不完全なものを見出します。 イエス様が地上に来られた際に、最初に弟子になる人物にイエス様は問われました。「何を求めているのか」と。すると問われた方は、イエス様は、「どこに泊まっておられるのですか」と言いました。イエス様の教えと生活を通して、何を求めたらよいかの答えを得たいと思ったのです。イエス様は言われました。「来なさい。そうすれば分かる。」私たちが、真実に何を求めたらよいのか。それはイエス様の所に来るならば、神様が私たちに願われている真実な答えを得ることが出来るのではないでしょうか。 人間とは、物語によって生きている被造物であると言われます。私たちは、幼少の頃から、親や他の人から、物語を聞かされて成長してきました。その物語によって、人生を解釈し、人生はどうあるべきかを判断して来ました。そのままでは、私たちは、その物語に引き付けられ、結末まで導かれていきます。 イエス様は、しばしば物語を用いて、教えられました。それは私たち人間が物語によって動かされていることを知っておられたからでもありましょう。物語は、私たちの記憶に残りやすいものです。しかし私たちの内側に形成された物語が、間違ったものであったらどうでしょうか。人生は、その誤った物語によって導かれていってしまいます。しかも私たちは、一度心に形成された物語から容易に逃れられないのです。 物語には、様々なものがあります。それが私たちの人生観や世界観、そして倫理観まで影響を与えます。すなわち「私は誰で何者か」「なぜここにいるのか」「私は価値がある存在か」「本当の成功者とはどういうものか」など、生きる上で重要な問いにまで影響を与えます。 誤った物語の一つに「因果応報」というものがあります。良いことをすれば、良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こり、罰があたる。勿論それは人生の一部ですが、全てではありません。あるいは、他宗教や異端の教えや、他の思想による物語を聞かされた人もいると思います。 ひとたび物語られたことが心に根づくと、多くの場合、その人が死ぬまで、その物語は、疑問視されることなく、その人の内側に留まります。そして重要なのは、こうした物語が、私たちの人生を動かし続けると言われています。いや私たちの人生をしばしば破壊しつ続けるとまで言われています。ですから正しい物語を、私たちが獲得することは誰でも必要なこと、重要なことなのです。 皆さんの中には、どのような物語が根付いているでしょうか。すこし難しい表現をするなら、それぞれどんな人生哲学をお持ちなのでしょうか。年を重ねるごとに、この人生哲学に囚われていて、なかなかイエス様の物語が心に入らず、妨げていることを見出します。ですから幼い時から、本当のイエス様の教えられた神の国の物語が、私たちの心に根づくことが重要です。 誰も神の御子イエス様以上に、神様のことや人間の性質と意味について知ることは出来ませ ん。イエス様は言われました。「私は真理であり道であり命である」と。イエス様が言われたことこそが、本当の真理です。 私は17歳になった時、初めて教会に導かれて、聖書を通して、イエス様の物語に触れることが出来ました。いままで求めていたことであましたが、今まで聞いてきた違った物語が心に根づいていることにも気がつかされました。 使徒パウロは、ローマの信徒による手紙12章2節で次のように言われています。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」 ここで、この世の価値観ではなく、神の国の価値観に基づいて、心の根本が神様によって変えられる必要があると言われています。私たちの物語や価値観が、神様の御心、神様の善、神様に喜ばれる事、神様の完全によって、心と生活が形成される必要があります。 その為には、聖書と共に、ご聖霊なる神様の力が必要とされます。ヨハネによる福音書16章13 節「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」 真理の霊である、ご聖霊なる神様によって私たちは、真実な物語が形成されて行きます。その際にご聖霊なる神様が用いられるものが四つあります。第一に、もちろん聖書です。聖書を通して、ご聖霊なる神様は、私たちの心の物語を真実な物語に変え続けて下さいます。人は聖書を学んだほどにしか生き得ません。それ以下はあっても、それ以上はありません。 第二に、御言葉を実践することです。聖書の御言葉が最も分かるのは、生きてみることです。生きてみるなら、その御言葉の真実さを実感します。また自分の肉の意志や力だけでは御言葉を生きることが出来ないことも悟ります。そして神様に愛と力と勇気とを絶えず祈り求めるようになります。 料理もスポーツも実践や訓練が必要です。同じように生活も、御言葉の実践と訓練が必要なのです。神様は、私たちが御言葉を実践し訓練することを用いて、私たちの心に真実な物がたりを形成されます。 第三に、ご聖霊なる神様は、交わりを用いられます。人間とは交わりに生きる存在と言われます。万物は、父なる神と御子なるイエス様と聖霊なる神様、いわば三位一体の神様によって創造されたと聖書に記されています。この三位一体の神様は、交わっておられます。そして造られた被造物である私たち人間も、交わりの中で生かされるように造られています。しかも愛し合うよう期待されています。 交わりの中で、励まされたり、時に葛藤したりして、学び成熟して行きます。ご聖霊なる神様は、私たちの家族や、教会員や、隣人との交わりを用いられます。そして交わりの中で、最も重要なのは、神様との交わりです。日々、瞬間瞬間、父なる神様との祈りの交わり、ご聖霊との交わり、イエス様との交わりが大切になります。そして神様から御霊の実を頂くことです。神様と隣人と自分との関係の実です。 ガラテヤの信徒への手紙5章22~26節「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたち は、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。」 そして第四に、十分な睡眠を、ご聖霊は用いられます。多くの専門的研究によれば、平均的な人が、健康を維持するために必要な睡眠時間は、おおよそ8時間だそうです。人生の三分の一は睡眠です。睡眠による安息が必要であり、人生の三分の一は、眠って過ごすように、創造主なる神様は、私たちを造られました。 この大切な睡眠時間を確保しないと、結果として肉体の健康を損ね、体力が減退し、生産性も低下します。一方、睡眠時間の削減は、しばしば他の人を傷つけることに繋がります。普段の生活でもそうですが、毎年、居眠り運転による死亡事故は、酔っ払い運転による死亡事故に比べ て、件数の上で上回っているという報告もあります。そして歴史上、今日にも増して人類が休息を必要としている時代はないとも言われています。睡眠時間を適切に確保することは、信仰生 活、霊性、霊操と深く関係しています。 眠りやすくするためのコツとして四つあります。一つは、毎晩、決まった時間に就寝するこ と。二つ目に、就寝前には、ストレスのかかる活動をしないこと。三つ目に刺激物に反応しやすい人は、夕方から刺激物を摂取しないようにすること。四つ目に、眠る事を強制しないこと。眠気を感じないならば、眠くなるまで読書したり、詩編を読んで思い巡らしたり、心地よい音楽を聴いたり、感謝と悔い改めの祈りをしたりします。体と心が眠りにつく準備をしないかぎり、いくら寝がえりを打っても、うまくいかないものです。 私たちは何を求めているでしょうか。神様の御心に沿った本当の生き方の為に、ご聖霊によって、神の言葉である聖書と、実践と、交わりと、睡眠を大切に出来ますように。そして神様と人への愛が、さらに成長、成熟して行く歩みとなりますように。お祈り致します。

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