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2023.6.29家族関係・講座配信シリーズ「父親として夫として男性として」箴言22章6節

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2023年8月15日
  • 読了時間: 8分

「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」


『正しい倫理と道徳的規準』


牧師 松矢龍造


シリーズで、「父親として夫として男性として」を展開して 4 回目となります。今回は父親としての「正しい倫理と道徳的規準」というテーマです。自分と家族の為に、高いモラルコンパス・「倫理と道徳的規準」を定めること、そしてその基準を、世代を超えて、子どもたちに伝えてい くことは、あなたが子ども遺すことの出来る最も大切な遺産です。

聖書の他の箇所でも「正しい人は、誠実に歩む。彼の子孫は、なんと幸いなことか」とあります。ある賢者の言葉にも、「私の父は、正しいことと悪いことの違いを教えてくれました。それは、私たちのために、父が遺してくれた最も大切なことでした」と言っています。承

しかし今日、多くの国で、倫理や道徳に対する高い基準を持つ大切さについて話すと、あまりよく受け入れられません。何が正しいかより、いかに早くということの方が、歓迎される世界となっています。そして実際に、多くの人たちが、倫理や道徳的な基準という話題を避けています。

けれど、正しい倫理や道徳的な基準は、親や家族の、性格や人格の形成過程において、とても重要な役割を果たします。父親が、子どもに与えることの出来る贈り物や遺産として、しっかりとした倫理と道徳的な基準に勝るものはないと言われています。

金銭でも家柄でも家屋でもありません。物質的なものも大切な面はありますが、子どもたちが成人してから、本当に難しい倫理や道徳的な問題に直面する時、正しい方向を選択するための助けこそ、最も必要としていることです。私たちは、子どもたちが、いずれ、こうした試練に直面することを、自分の経験から知っています。

その時、どんな決断をするかによって、それ以降の、

子どもの家庭や職場や生活、さらに孫の未来についても決って来ます。ですから、子どもたちは、親から倫理や道徳的な基準を受け継ぐことで、自分自身と家族が、正しい道を進む最大のチャンス・機会を手にすることが出来ます。


しかし親が持っている倫理や道徳的な基準が、あらゆる状況下で、きちんと機能する、正しい基準となっているでしょうか。あるいは別の何かの影響を受けて、異なった方向を指して、機能不全に陥ってしまう基準となっていないでしょうか。

加えて、正しい倫理や道徳的な基準を、子どもたちに渡すことは、今日の多くの父親には、関心がないかもしれません。理由は、難しすぎるとか、忙しいからとか、格好良くないからというものがあります。

こんな例があります。「ある、お金で買えるものなら、ほとんど何でも買ってもらえるような、裕福な家庭で育った子どもがいました。高価なプレゼント、世界一週の旅行券、高級車などです。この男の子は、家族が多年にわたって、高額な寄付を続けていたので、有名大学に、推薦で入学も出来ました。この男の子は、ほとんど何でも与えられましたが、本当に大切なものは与えられていませんでした。

彼の父親は、わざわざ息子に、正しい倫理や道徳的な基準を持たせたりしなかったのです。その結果、この子は、大学を卒業して、家族の管理下でなくなってから、完全に道を踏み外しました。何十年も、酒と薬物に溺れた、後の彼は、以前の面影はありませんでした。彼に与えられた資金も贈り物も、他の物質的なものも、みな本当に、まったく助けになりませんでした。実際、長い目でならば、こうした物質的なものが、彼に損害を与えました。

彼にとって、最も痛ましかったことは、正しい倫理や道徳的な基準がなかったために、正しい判断が出来なかったことです。正しい基準がないために、人生の航路に迷い、最後に人生を座礁させてしまったのです。」

今日の親の多くは、他の誰かが、私の子どもに、善悪の違いについて教えてくれるだろうと思っています。もちろん教師や牧師、コーチやカウンセラーも、ある程度は求めれば、教えてくれるでしょう。加えて、親以外の良い模範も必要でしょう。

しかし時代を超えて、すべての文化において、子どもに善悪の違いを教えることは、親の最優先の仕事や務めです。その役割は、今日も変わっていません。この大切な働きを指導するのは父親です。そして誰でも、間違いを犯します。また初めから完全に良く出来る人もいません。愛と忍耐を持って、子どもたちが身につけるようにする役割は、親以上に良く出来る存在はありません。

聖書に愛は、多くの罪を覆うとありますが、親は、子どもの失敗を覆いながら、徐々に、正しい倫理と道徳的な基準を示し、身につけさせていきます。冒頭の聖句です。箴言 22 章 6 節「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」

この正しい基準は、家族全員が先ず理解できるものでなければなりません。理解できないルールには、誰も従わないからです。全員が従うというのは、全員に当てはまらないルールは、ルールではないということでもあります。

加えて、いかなるしつけも、愛情がなければ、悲惨な結果となります。さらに一貫性があり、ぶれないこと、そして年齢や発達段階を考慮することも大切になります。子どもたちは、誰も最初は何も知りません。

そして時間がかかっても、行動の責任が、ついてまわることも、しっかり理解させることは、親の責任です。そしてこのしつけの恩恵は、子どもが安心感と満足を得て、社会で正しく自立して行くことです。

続いて、道徳的な基準を伝える上での、基本的な 12の原則を受け留めます。第一に、目標は、子どもを教えることであって、体罰を与えることではありません。第二に、怒りをもってしつけてはならないということです。第三に、行為の程度において、適切なしつけをすることです。

第四に、しつけは一貫していて、正当で公正なものであること。第五に、しつけが利かない時には、さらに厳しくする必要があります。第六に、夫婦そろって、同じ基準で「はい」と「いいえ」を言うことが大切です。

第七に、しつけにおいて、父親が指導力を発揮することです。第八に、一回しつけたら、10 回愛情を示す、10 対1のルールです。第九に、子どの年齢や発達段階に合わせて、しつけを調節することです。第 10 に、子どもの生活に影響を与える、他の重要な人たちと協力することです。第 11 に、しつけをする役割を、年上の子どもや親類にまかせないということです。第 12 に、社会の中で、子どもが、いじめられたりする時、常に子どもの見方をすることです。

こんな例もご紹介します。「一組の夫婦ことですが、この夫婦は文字通り、子どもに何でも、やりたいようにやらせていました。比較的、自由な考え方をする人の中には、この夫婦を褒める人もいました。『すごく子どもを信頼している』とか『すごく進歩的だ』とかよく言っていました。この家庭で、子どもがやりたいことは何でも、やらせてもらえた本当の理由は、実は、両親がめったに家におらず、子どもをまったく構っていなかったからのようでした。結果として、子どもは、あまり愛情を受けることがなく、また、あまりしつけも受けていませんでした。

この家の娘さんが、少女時代、学校から家に帰ってきても、両親がいないことが時々ありました。そして両親は、少女に鍵を渡すのを忘れることもありました。ある時には、この娘さんが、友達の家を尋ねて、夕ご飯が欲しいと言ったこともありました。両親は外に出掛けたままで、娘の食事を用意していなかったのです。

その後、この娘さんは、かなり薬物に依存しており、施設に入ったり出たりする状態になりました。この娘さんは、ただ愛情と暖かさと、自分の面倒を見てくれる人を探していたのでした。残念なことに、娘さんの父親は、その数年後に、薬物が原因で、心臓発作を起こして亡くなりました。

父親は、小さな娘の面倒を、あまり見なかったので、少女が求めているような人にはなれませんでした。母親もなれませんでした。悲しいことに、この両親のわがままと自己中心のつけを、彼らの娘が、彼女の人生を犠牲にすることによって、支払ったのでした。」結

しつけは、もちろんそれ自体が目的ではありません。また怒りに任せて、しつけをしてもなりません。しつけは重要なツール・道具であって、それによって、子どもが、正しい倫理や道徳的基準を作り上げることが目的です。そして私たち父親は、その模範を示さなければなりません。

しかし私たちは、皆完全な人はおらず、皆過ちを犯します。ですから、常に 100%、正しい倫理や道徳的基準を持って、模範になっている親はいません。ですから、誰もが謙遜さが大切になってゆきます。謙遜な気持ちであれば、自分が間違った時、そうだと認めることが出来ます。そして子どもたちも、常に過ちを犯します。親が過ちを犯したら、すぐその場で、責任をとり、償おうとするなら、子どもたちは、その親の姿から学び、子どもが、過ちや失敗を犯した時、どのようにすればよいかを知ることになります。

ですから、正しい倫理や道徳的基準と共に、謙遜さを継承することが、遺産となります。これが、子どもたちに遺す最も大きな遺産となります。そしてこの実現の為には、必ず祈り、創造主にして、救い主なる神様の助けを求めることが、必要です。それは信仰的な遺産となります。正しい倫理や道徳的な基準と、謙遜さと、信仰の遺産は、誰でも遺す可能性があり、子どもたちに対する最大の遺産となります。そして必要があれば、友人の助けと祈り、専門家の助けを受けてください。

あなたも最も大切な遺産を、子どもたちに遺してゆきませんか。最後に、もう一度、箴言 22 章6節を拝読して閉じます。「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」お祈り致します。








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