2023.7.23サムエル記上 1 章 21 節~2 章 11 節「祈りから讃美へ」
- CPC K
- 2023年8月15日
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牧師 松矢龍造
起
苦難の時には祈りなさい。順調に行っている時は、讃美しなさいと言われています。苦難も順調も、祈りと讃美なしでは、神様から心が離れてしまう危険が常にあります。悪魔は、私たちが苦難の時に、祈らせないように攻撃してきます。また順調の時には、讃美しないように誘惑してきます。
そうならない為に、絶えず、神様の御言葉を、ご聖霊によって聴き続けることが大切になります。今日の御言葉は、苦難の中で、祈り、そして祈りから、いつしか讃美の歌に変わったハンナの祈りが、後半に展開されています。このハンナの祈りは、救い主なるイエス様の母として用いられたマリアの祈りと讃美・マグニフィカート言われる賛歌に影響を与えたと言われています。
承
ルカによる福音書 1 章 46~65 節「そこで、マリアは言った。『わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。』」
転
ハンナは、男の子が与えられたなら、その子を、神様の幕屋で一生涯仕える人として捧げますと、ナジル人の誓願に近い祈りを捧げました。その結果、主なる神様は、ハンナの胎を開かれ、サムエルという男の子が委ねられました。そして、乳離れするまで、ラマにあります家で育ててから、幕屋と契約の箱があるシロに、サムエルを連れて行きます。
乳離れするまでとありますが、子どもは通常、3 歳まで母乳で育てました。そして祭司エリのいるシロに夫と共に、サムエルを捧げに行きました。ハンナは、たった一人しかいない息子を、神様に捧げることで、自分の全人生と未来を神様に捧げました。
しかし息子サムエルの命は、もともと創造主なる神様から授かったものでした。それゆえ、その子を神様にお返ししただけです。かつて宗教改革者の一人であるマルチン・ルターは、始めて鎖付き聖書を見出した時がありました。鎖付きとは、本棚と書物が鎖につながれて、室外に持ち出されないようにした貴重な書物のことでした。
この鎖付き聖書を、ルターが最初に開いた聖書の箇所が、このハンナがサムエルを捧げる御言葉であったそうです。ルターは、これを読んで大変、感じて奮い立ち、彼自身、サムエルのように、一生涯の献身と奉仕を神様に誓ったと言われています。私たちも、全生涯を、主に捧げているだろうかと問われる思いがします。
誓願とは、神様に誓うことですが、神様の御心に沿った誓願以外は、しないほうが良いとイエス様は言われています。結婚の誓約や、牧師、長老、執事の制約などは、神様の御心に沿った制約です。それ以外は、やたらに不必要な誓願は、しない方がよいです。しかし神様の御心に沿った制約なら、必ず果たすことが、主にあって必要です。
サムエルは、幕屋のあるシロで、祭司エリのもとで、育まれて行きます。こうして祭司、預言者、士師、キングメーカーという重大な神様からの使命を担う、サムエルの訓練が、幼い時から始まりました。私自身も、牧師となる為に、多くの時間が、必要であったことを思い出します。
続いて 2 章 1 節からは、ハンナの祈りが、いつしか讃美の歌に変わり、それが展開されています。この讃美の要点は、神様の主権に対する信頼と感謝であり、神様に裁きを委ねた内容となってといます。すなわちハンナは、祈りから讃美へと移り、主なる神様は、聖なる方であること。また全幅の信頼に値する岩であり、全てを知る神様である。そして生殺与奪の権を握り、逆転の御業を行う、裁き主でいますとことを告白しています。
ハンナは、不妊の女性として、嘲られていましたが、現実に、多くの子どもの母となることが出来ました。さらに神様の主権を歌うことは、取も直さず、人の傲慢や高ぶりを戒めることです。人は皆、もう一人の妻ペニナも含めて、神様の力強い御手の下に己を低くしなければなりません。
新約聖書ペトロの手紙一 5 章 6 節「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。」
ハンナの祈りと讃美を、もう少し詳細に追及しますと、後のダビデの祈りと似ていることが出てきます。たとえば、岩、陰府、雷鳴、油注がれた者という表現が重なります。ハンナ自体の祈りも、神様に助けられたことを感謝する、古い祈りの言葉が含まれていると考えられます。ですから、ハンナは、かつての信仰者の祈りと信仰に学び、また後の信仰者の祈りと信仰に影響を与えてゆきます。そして後のマリアの賛歌も、ハンナと同様、ご聖霊に満たされて、祈り歌ったものでしょう。
1 節「ハンナは祈って言った。『主にあってわたしの心は喜び、主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き、御救いを喜び祝う。』
ここで「角を高く上げる」とは、角は力の比喩的な表現です。弱く身分の低い者であっても、主は力を与えて下さることへの感謝と、喜びと救いの故に、主をほめたたええています。私たちも、弱く醜く罪ある者でありながら、主は恵みと力を与えて下さることに感謝と讃美捧げます。
2節「聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神の み。」「岩」とは、変わらないこと。また安全や確実を表現しています。また岩とは、人々の避難所を象徴いる言葉としても、良く用いられます。サムエル記下 22 章 2 節3節「主はわたしの
岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え、不法から救ってくださる方。」
私たちにとっても、主は救いの岩、あらゆる時の逃れの岩です。祈りを通して、讃美を通し て、私たちにとっても、いつでも、どこでも、どんな状況においても、主なる神様は、大いなる岩であり、避けどころです。
3 節4節「驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神、人の行いが正されずに済むであろうか。勇士の弓は折られるが、よろめく者は力を帯びる。」
ハンナは、ペニナの高ぶりと蔑みに対して、その裁きを、主に委ねました。復讐やさばきは、主のものです。私たちは、主に委ねることが肝心です。
5 節「食べ飽きている者はパンのために雇われ、飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み、多くの子をもつ女は衰える。」
古代中近東では、理想とされる子どもの数は、七人と表現されました。これは必ずしも 7 人というのではなく、神様のからの祝福を表現するのに、7 という数字が用いられました。他の例として、ルツ記 4 章 15 節「その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」
続いてサムエル記上 2 章 6 節「主は命を絶ち、また命を与え、陰府に下し、また引き上げてくださる。」ここで陰府とは、死者が影として生きる霊的な地下の世界のことです。全ての人が、死後に行く裁きを待つ場所であり、刑罰を受ける地獄のことではありせん。
ここでハンナが、陰府から引き上げて下さると言ったのは、死者の復活のことではなく、死に直面したような状況からの回復を意味しています。ハンナにとって、子どもがいなくて、さげすまれていた状況は、死に直面したような思いになっていたのでしょう。
使徒パウロは、死のような状況で、主なる神様のみを頼るようになったと告白しています。コリントの信徒への手紙二 1 章8節 9 節「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」
私たちが、もし死ぬような思いになった時、それをあえて許された神様は、私たちが、死者を復活させたくださる神様を頼るようする為であると確信しましょう。
7節 8 節「主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めてくださる。弱い者を塵の中から立ち上がらせ、貧しい者を芥の中から高く上げ、高貴な者と共に座に着かせ、栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの、主は世界をそれらの上に据えられた。」
家の構造から、宇宙を表現する隠喩が使われています。宇宙を創造された主は、どんな存在をも、御心に沿って、富ませ、低くし、また高くくし、立ち上がらせてくださいます。
9節 10 節「主の慈しみに生きる者の足を主は守り、主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。主は逆らう者を打ち砕き、天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし、王に力を与え、油注がれた者の角を高く上げられる。」
当時、まだイスラエルには、王政となっていませんでした。しかし将来において、神様が王を選び、イスラエルを治めさせるということが、この祈りによって示されています。主は、ご自身の慈しみに生きる者を守られ、逆転を起こしてくださいます。
結
私たちは、常に主の御前に、驕り高ぶったり、思い上がったりしてはなりません。また横柄な態度や傲慢になってもいけません。主は、砕き低くされます。むしろ、へりくだる者を憐れみ救い助けて下さるお方です。たとえ戦争や災害の中であっても、心の貧しい者は幸いです。また悲しむ者は幸いです。十字架と復活の主イエス様が、ご聖霊によって共にいてくださるからです。私たちも、主の御前に、祈りと讃美を通して、謙遜になって行きませんか。お祈り致します。

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