2023.7.2ヨハネによる福音書21章 20~25 節「イエス様とその愛する弟子」
- CPC K
- 2023年7月14日
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牧師 松矢龍造
起
約二年前の 10 月より、ヨハネによる福音書の連続講解説教が始まりまして、今日が最終日となりました。ヨハネによる福音書は、「初めに言があった」と始まりました。創造者キリストが、人となって私たちの間に宿って下さった神の御子である。このことを証言し続けてきたヨハネによる福音書です。そして御子を信じる者は、罪の赦しと永遠の命が与えられることを、中心的なキリストの福音として、ご一緒に受け留めてまいりました。
この最後に来て、ヨハネによる福音書を受け留めて来た者たちには、最終的に、神様から問われています。「あなたは、イエス・キリストを神の子として信じるか否か」「あなたの決断はどちらなのか」。その決断によって、永遠の命か、永遠の滅びかが、決まってしまいます。
承
前回は、三度イエス様を否んだペトロに対して、復活されたイエス様は、特別に最召命を与えて下さったことを受け留めました。そして主イエス様は「わたしの羊を飼いなさい」と三度言われました。
聖書において、イエス様は、よく羊飼いにたとえられています。イエス様 は、羊飼いのように、失われた羊を探し出して、神の国へと連れて行かれ、民を導かれます。
この羊飼いのたとえは、教会の牧師や教師に対しても使われます。羊飼い が、羊を世話するように、人々に神の国を示し、民を神様の義に導くことが、牧師や教師に課された役割です。私は、ヨハネによる福音書を通しても、皆様に神の国を示し、神様の義に導くことが出来たでしょうか。不十分であったことを、主にあってお赦しください。
そして真理の御霊様が、皆様を、神の国と神の義に導いてくださることを切に祈るばかりであります。
個人的には、60 代になりまして、難解なローマの信徒への手紙やヨハネの黙示録、祈祷会ではエレミヤ書に取り組ませて頂きました。そして現在は、基本的なヨハネによる福音書に戻りまして、後は、すでにすみました、マタイとマルコ福音書に続いて、最後残りましたルカによる福音書を、いつか講解したいと祈っています。
転
それでは、今日の御言葉である 20 節をもう一度。「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、『主よ、裏切るのはだれですか』と言った人である。」
イエス様の愛していた弟子とありますが、これはイエス様の言動を真実に記した、このヨハネによる福音書を記す為に用いられた、使徒ヨハネであると思われます。この福音書では、イエス様が、こよなく愛する弟子として、特筆されてきました。ヨハネは 12 弟子の中で、最も地上に長く留められた使徒でした。それはそれだけ長く迫害を受けて、耐え忍びながら、神様の言葉を伝える使命がある為に、こよなく愛されることが必要であったと考えられます。
ペトロとヨハネは、特に親しい間柄だったのでしょう。最後の晩餐で、イエス様は、12 弟子の中で、裏切る者がいると言われました。そこでペトロは、それは誰なのか、イエス様のすぐ横にいて、イエス様の胸元に寄りかかっていたヨハネに尋ねるように合図を送ったことがありました。
21 節「ペトロは彼を見て、『主よ、この人はどうなるのでしょうか』と言った。」親しい中であるヨハネのことに対して、心配半分、好奇心半分で聞いたのです。クリスチャンにおいて、弟子たちが失敗する原因の一つは、主ご自身よりも、お互いのことで頭がいっぱいになるためである場合が多いと言われます。
22 節「イエスは言われた。『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。』」
ここで「何の関係があるか」と訳された言葉は、原文では、「どんな関係があるのか」という意味でもあります。ヨハネが、どんな死にかたをするのか。ヨハネにはどんな務めが与えられているのか。他の人のあり方がどのようであっても、「あなたは、私に従うのか」。それが最も大切なことです。
私たちも、父母や兄弟、友人や他の兄弟姉妹がどうなるのか、気になるところです。しかし、他の人のことより、「あなた自身はどうなのか」。他の人の働きは置いておいて、あくまで、「神の御国の為に、忠実に私は務める」その覚悟が先ず、なくてはなりません。他でもない、「私はどうするか」それが最も神様の御前で、大切なことです。
23 節「それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか』と言われたのである。」
この後、ペトロは、迫害などで試みられている人たちに対して、苦しむ者の使徒となるべく、用いられて行きました。そしてペトロによる二つの手紙が後に記す務めとなって行きました。方やヨハネは、生ける教会に、黙示的な幻が与えられ、それを宣言するヨハネの黙示録を記してゆく務めとなってゆきました。
もっと言えば、ペトロは、耐え忍んで、主を待ち望むことについて、主にあって耐えながら、手紙を書いてゆきました。またヨハネは、神の御子の勝利の再臨を描く黙示録を書いて行きました。その為にヨハネは、パトモス島に迫害によって数年間、流刑にされた後、エフェソの戻り、イエス様の母マリアを養いました。そして 1 世紀の終わり頃、そこで年老いて天に召されたと、初代教会の歴史は、報告しています。
24 節「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。」
この聖句は、初代教会が、ヨハネの記した、ここまでの福音書が、真実であると記したものと思われます。
25 節「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」
使徒ヨハネは、沢山ありますイエス様の言動についての教えの出来事を、記憶の中から、選んで記されねばなりませんでした。そして、ご聖霊の霊感によって、ヨハネは、誤りなく、神の言葉が記される為に用いられました。
テモテへの手紙二 3 章 15~17 節「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」
結
イエス様が、ペトロにかけた最後の言葉は、「わたしの羊の世話をしなさ い」「わたしに従いなさい」でした。ヨハネに対しても、世々の教会である私
たちに対しても、同じです。復活の証人を、世界中の人々は、待っています。そして信じ人たちの世話をするのは、今も、私たち教会の務めです。
最後に、今月、イスラム圏の一つであるインドネシアのジャカルタに研修に行く機会がありましたので、特に目が留まりました、イ・ドンウォンという方の「復活の証人を待っている人々」という内容を受け留めます。
「私たちは、全世界で最も伝道が難しい所は、『イスラム教の領域』だと考えがちです。しかし、イスラム教徒に宣教している人たちの証言によれば、これまで約 1400 年間の間に、イスラム教から、キリスト教へ回心した人の数よ
りも、さらに多くのイスラム教徒が、ここ 10 年の間に、主に立ち返ったそうです。
彼らの多くは、夢と幻の中で、復活されたイエス・キリストと出会う体験をしたと言います。トム・ドイル牧師が書いた『夢と幻』という本の中で紹介された話です。エジプトのカイロで、危険にさらされつつ、2 年間、福音を伝えていたハサムという伝道者が、ある日、覆面をつけて銃を持った人に拉致されました。
路地に引きずり込まれ、彼が連れて行かれた場所は、使われていない古びた倉庫でした。10 人ほどの体格のいい男たちが、彼を囲んで立つと、その中のリーダーだと思われる人物が、『このように、あなたを驚かせ、ここに連れて来たことを謝罪する』と言いました。
自分たちは、カイロのアル・アズバル大学で、コーランを学び、イスラム教の聖職者・養成課程に在籍中なのだが、みなそれぞれ夢の中で、復活されたイエス様に出会い、密かにイエス様の弟子になったのだというのです。
彼らが週に 3 度集まって祈っていた中で、キリスト教の伝道者ハサンの存在を知り、聖書を学ぶために、彼をここに連れて来たと言うのです。神様は今日も、御言葉や、様々な方法を通して、私たちに出会ってくださり、私たちを、復活の証人として召してくださいます。」
主に愛されている皆さん、世界中で、復活の証人を待っています。私たち一人ひとりが、主イエス様と個人的に出会い、イエスから愛されていることを確信しましょう。そして教会で養われて、主が示される隣人に対して、私たち も、ご聖霊によって復活の証人とされて行きませんか。お祈り致します。

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