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2023.8.30箴言15章22~33 節「謙遜と誉れ」

牧師 松矢龍造


謙遜の美しさは、誰もが知っています。古代の著名な神学者であるアウグスティヌスは、人間にとって何が一番の美徳ですか」と問われて、「謙遜」と答えました。そして第二、第三も、「謙遜」であると続けました。

けれど、謙遜が大切だと分かっていても、いつのまにか高慢になってしまうのが、堕落した人間の姿ではないでしょうか。罪の本質は、高慢・悪しき面のプライドと言われます。人類の始めであるアダムとエバは、善悪を知る木の実を食して、神のようになろうとしました。また蛇を通して、エバを誘惑した悪魔も、傲慢になって、唯一の創造主なる神様に背きました。

イザヤ書14 章1111~15 節に、悪魔が高ぶり、裁かれることが記されています。「お前の高ぶりは、琴の響きと共に、陰府に落ちた。蛆がお前の下に寝床となり、虫がお前を覆う。ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた。もろもろの国を倒した者よ。

かつて、お前は心に思った。『わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し雲の頂に登って、いと高き者のようになろう』と。しかし、お前は陰府に落とされた。墓穴の底に。」

謙遜とは、第一に、真理に対して脱帽して従うことです。自分のメンツや立場を捨てても、従う心です。第二に、人の人格や人の魂に対する尊敬です。第三に、神様の御前に、罪人あり、被造物に過ぎないと、へりくだって、神様を愛し、恐れ敬う心です。

今日の御言葉では、謙遜と、主を恐れ敬うことが、対句として、ほとんど同義的に用いられています。箴言15 章33 節「主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜。」主を恐れ敬うことが知恵であり、知恵とは、謙遜であると言ってよろしいでしょう。

それでは、今日の御言葉から、おもいに謙遜であることと、関係がある御言葉を受け留めます。一つ目は、謙遜とは、他の人の助言を受け入れることです。15 章22 節「相談しなければどんな計画も挫折する。参議が多ければ実現する。」

自らが、常に正しい、あるいは常に完全な答えをもっているというのは、まさに傲慢でしょう。そして他の人の助言を受け入れない人は、成功しないでしょう。そんな人は、ある賢者によれば、一つには、他の人の助言を受け入れる余地がありません。自信過剰で、自分のアイディアのみが、最高だと思う、そのことで頭がいっぱいです。

二つ目に、他の人が言ってくれていることの中身が読めず、意味が分かりません。そして人の助言をないがしろにしてしまいます。三つ目に、とにかく、自分より優れた人のアイディアに従っていくのは、いやだという自分中心の人であり、人の助言や意見に、耳を傾けません。

22 節の箴言の言葉は、誤った判断から救われる為には、多くの知恵ある人々と協議すべきことが、提唱されています。日本の実業家であり知恵者で知られている松下幸之助さんという方が、自分が成功した理由は、次の三つであると言っていました。第一に、健康でなかったこと。だから他の人の助けが必要であった。第二に、自分は優柔不断であった。だから周りの意見を良く聴いていった。第三に、自分には学齢がなかった。だから、自分より知識と技術がある人の助けを受けたと言っていました。

カーネギーという方のことを、次のように評する人がいます。「彼は、自分よりも能力ある人を、最も用いることが出来た、最も有能な人である。」謙遜になって、助言を受け入れる人こそ、成功して、良き歩みをして行くのではないでしょうか。そして最大の助言は、聖書による神様の御言葉ではないでしょうか。

二つ目は、一つ目と関係がありますが、気にいらない人を大切にすることです。世界一のオートバイ・メーカーになり、世界中で評判の自動車メーカーになっている会社の社長さんを評したものに、次のようなものがあります。「彼は気に入らぬやつを大切にする人だ」。

「気に入らないやつ」とは、普通の人が言わないような批判を、ずけずけと言う人のことです。他の人は、いいことを言ってほめてくれます。けれど、気にいらないやつを遠ざけたり、いづらくして、やめさせたりしないで、この社長さんは、大切にしたというのです。なぜでしょうか。それは他の人が言わないことを言うし、自分の気づかないことを教えてくれます。それを素直に受け入れていくことが、会社の進展の為に、大切だと分かっていたからでした。

そして、私たちは、聖書の御言葉を読んでいて、自分に都合の悪い言葉、自分の罪や弱さを指摘する言葉から、目を逸らしたい思いになる時があるのではないでしょうか。しかし、主を恐れ敬い、謙遜になって、主の御言葉を受け入れ、悔い改めて行くところに、救いと成長があるのではないでしょうか。

31 節32 節「命を与える懲らしめに聞き従う耳は、知恵ある人の中に宿る。諭しをなおざりにする者は魂を無視する者。懲らしめに聞き従う人は心を得る。」

三つ目に、主は傲慢な者ではなく、謙遜な者の地境を固めてくださいます。15 章25 節「主は傲慢な者の家を根こそぎにし、やもめの地境を固めてくださる」とあります。地境は、しばしば争いの種になります。たいていは、強い者が勝利して終わります。しかしここでは、主なる神様が介入して、公平にさばき、弱者の権利を守られるとあります。ですから、誰でも、目には見えませんが、全てを見ておられる全知全能の神様を、恐れ敬うことが肝心です。

四つ目に、謙遜で知恵ある人は、必要以上に語らず、あわててしゃべることはありません。28節「神に従う心は思いめぐらして応答し、神に逆らう口は災いを吐く。」語る前に、慎重に言葉を選びます。それは箴言の主題の一つでもあります。神様の御言葉や、状況や、相手のこと、過去や未来のことを思い巡らし、熟慮してから語ります。しかし神様に逆らい、神様の言葉を無視し、慎重さを欠いて語ることは、災いを吐くことになります。

五つ目に、主を畏れて、謙遜になることです。もう一度33 節「主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜。」知恵ある人は、神様を拝み恐れ敬い、律法に従って生きます。謙遜と訳された言葉は、原文では「柔和」「謙虚」「丁寧」という意味でもあります。

エゴイズムや自己中心を捨てて、私心をなくし、神様と人の言葉を聴けることが、家庭の平和とだんらん、事業の真の成功の秘訣と、結びついて行くのではないでしょうか。その為には、肉の力では無理です。ご聖霊の助けと、御霊の実が必要不可欠です。

キリストの福音は、自分の罪を認め、へりくだって、キリストによる赦しを心から求める者を救い、赦すと言っています。そして福音を信じた者は、地上を見るだけで神様を見ない傲慢さを捨て、謙遜になって、主を恐れ敬う歩みをしてゆきます。上を見ることが、へりくだることでもあります。そして主は高ぶる者を退け、謙遜で正しい歩みを求める者の祈りを聞いてくださいます。

最後に、ファ・ジョンブという方の「問題があっても大丈夫です」という内容を受け留めます。「教会の中の、ほとんどの問題は、人々の気質や性格、考え方や経験の違いからくる誤解や未熟さなどのゆえに起こることが多いようです。神の国の姿を示すべき教会に問題が起これば、多くの人々が驚き、失望するでしょう。

しかし地上の教会は、罪人が集まった共同体なので、当然、争いが生じるものです。配偶者を、しっかりと見極めて結婚しても、夫婦喧嘩が起こるのですから、教会に争いが起こらないはずがありません。教会は、同じ考え方で、心が通じるから、一つの共同体になるわけではありません。

それは理念に過ぎません。教会は、イエス・キリストのゆえに、神様の尊い御言葉の故に、愛する兄弟姉妹たちが、自分の喜びであり、冠であるあることを知り、彼らの為に、犠牲となり、自分を捨てることのできる所です。

私たちは、一つになることについて、自分の考えを主張せず、相手の言葉に、耳を傾けるのは、何のためなのか、また、絶対にあきらめないで、兄弟姉妹たちと、最後まで、一緒に歩もうとするのは、何のためなのか、よく考えてみましょう。違うという理由で争うのではなく、教会が、さらに豊かで多彩に、美しく築き上げられるように、ともに力を尽くしましょう。

互いに違いがある私たちが、一つとなるために、一人ひとりが、代価を払い、人のせいにせず、ともに重荷を負いながら、ご聖霊の助けによって、問題を解決していく美しい信徒、美しい教会となるように祈ります。」

神様に愛されている皆さん。自分を絶対視することを止め、神様の言葉と、人の意見を聴く、へりくだった歩みを、ご聖霊様の助けを祈りつつ、なしてゆきませんか。主を恐れ敬い、謙遜になって、主の御心に聞き従って、美しい信徒と教会を、目指して行きませんか。

お祈り致します。

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