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  • 執筆者の写真CPC K

2023.9.17サムエル記上8 章11~22 節 「神様を王とすることを拒む心」

この世の権力は腐敗しやすく、この世において絶対権力を求めることは、徹底的に腐敗します。長期政権を続けるロシアのウクライナ侵略、中国の香港における弾圧は、現代における事例です。また日本においても、長期政権によって、憲法がないがしろにされる例が見られました。そしてアメリカでは、大統領の任期が2期までと定められているのは、長期政権の腐敗が歴史上の教訓となっているからでありましょう。

今日の御言葉では、イスラエルの民が、周辺諸国のように、君主制、王政を求めたことが展開されています。それは、権力が腐敗しやすく、王が自分の為に権力を振るうようになる危険だけではありません。人間の王を求める彼らの心の中に、自己中心で、創造主なる神様に逆らう心が隠されていました。

預言者であり祭司にして、士師であるサムエルは年老いて、イスラエルの為に裁きを行う者として、息子たちが任命されていました。そのことは、サムエルの影響力が、イスラエルに広範囲に及んでいたので、その息子たちを任命することが出来ました。

イスラエルが、かつて悔い改めて、ペリシテ人に勝利したミツパでの勝利から、約20 年が経過しており、サムエルは、60 歳前後であったでしょう。ところが、イスラエルの民を裁くことに任命した二人の息子たちは、父であるサムエルの道に歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って、裁きを曲げていました。

「曲げる」と訳された原文の言葉は、「押しのける」という意味でもあります。正しい主の律法に基づく裁きを押しのけ、神様を押しのけていました。律法では賄賂は禁じられていました。出エジプト記23 章8 節「あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。」

サムエルの息子たちの悪政に耐えかねたイスラエルの民は、サムエルに、自分たちを治める王を立てて欲しいと申し入れました。イスラエルの周辺諸国の、ほとんどは、王が治めていました。イスラエルの民は、王が立てられて、イスラエルの諸民族を、国家として統一し、ペリシテ人やアンモン人から守ってくれることを期待しました。

ここで、いつくのかのことが教訓として教えられます。第一に、サムエルの息子たちの堕落の悲劇ということです。サムエルは、前の祭司であったエリ家の子どもたちの悪と、神様による裁きを見て来ました。またサムエルも自ら、そのことを預言して来ました。なのに、自分の子どもたちもまた同じく悪の道を行きました。

悪魔は、何としても、指導者の家庭を狙うことに執拗で、何という、しつこさでしょうか。そして子どもを、主を恐れ敬う者とするとこの困難さを覚えます。ですから、どの家庭も、主を迎えずに、いられましょうか。また指導者の家庭が、サタンの攻撃を受けることのないように、祈ることが必要でもあります。

サムエルの子どもたちの不正は、士師、祭司、預言者の立場を危うくさせ、これをお立てになられた、神様に対する信頼を妨げることにつながってしまいます。教会においても、神様によって立てられた牧師、長老、執事、さらに任命された小グループリーダーの為に、お祈りください。

第二に、イスラエルの不安定さは、実は、その不信仰が原因でした。2020年前に、悔い改めたイスラエルの民に対して、ペリシテの侵略を防がれた神様です。それがまた不信仰になって、外敵に悩まされることが許されたのです。民は、士師制に問題があるとして、王政を求めましたが、問題の本質は、イスラエルの民の不信仰でした。すなわち、

根本的な問題は、神様への不従順であり、規則の統一ではなく、信仰の一致が必要でした。

ですから、第三に、イスラエルの民を本来、守り救うのは、イスラエルの神、いや創造主なる唯一の主なる神様です。この主なる神様のみを頼りにするという約束は、イスラエルが王を求めることによって、破られてしまいました。かつてモーセも、イスラエルの民が、主なる神様を退けて、人間の王を求めるようになると預言していました。

申命記17章14節に「あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入って、それを得て、そこに住むようになり、『周囲のすべての国々と同様、わたしを治める王を立てよう』と言うならば、」とあります。

サムエルは、イスラエルの民を治めるのは、神様しかいないと知り、そして王が人間の王を求めることは、主なる神様を王とすることを拒むものであったことをも知っていました。そこで、どう対応すべきかを、神様に祈りました。すると主なる神様は答えられました。

88章77~99節「主はサムエルに言われた。『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。

あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」

理想的な王のあり方は、かつてモーセを通して述べられています。申命記1717章1515~20節「必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。『あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない』と主は言われた。

王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる。」

しかし堕落した人間が、王として立てられたなら、王権を悪用することは、この後のイスラエルの王の姿や、歴史上の権力者から、いやというほど、知らされることです。不正をなした権力者を、革命によって倒した者たちが、権力者となると、また同じように腐敗して行きます。日本の政治家の中でも、若い議員が、不正を糾弾しますが、自分が権力を持つと、同じように不正や腐敗をしてゆく姿があります。

サムエルは、イスラエルの民に、王は自分のために権力をふるうようになると警告したうえ

で、王政を受け入れよと言われる主に従いました。主は、あのイエス様のたとえ話に出て来る、放蕩息子のように、父親は、生前であるのに、息子に財産を譲ることを許したことに似ています。これはサムエルの苦難であり、主なる神様の悲しみでもありました。

もしイスラエルの民が、創造主なる神様に忠実に従っていたならば、地上の王は必要なかったでしょう。しかしメシア王国の思想が、御摂理の中で、後にダビデ王朝を通して表される為に、あえて王政を許されたのではないでしょうか。ですから、御心というより、許容でしょう。それは、後にユダヤ族からの王ではなく、ベニヤミン族から、初代の王が選ばれることに暗示されているかもしれません。

他の国々のように、王を立てたいということは、他の国々のように、唯一の創造主なる神様に従わない国のようになりたいということです。一人の王を立てることで、唯一の主なる神様が指導者であることを、簡単に忘れてしまうことになります。イスラエルの民は、神様の代わりに、人間の法律、軍隊、人間による君主制を欲しがりました。

敵に囲まれた小国カナンの地で、自分たちを真に繁栄させることが出来るのは、創造主なる神様の力だけであったのです。それにかかわらず、彼らは、国を人間の力だけで運営しようとしたのです。

私たちも、個人、家庭、教会、社会も国も、人間の力だけで、自由かつ平等で、繁栄したいと願っても、人間の罪がそれを妨げます。また被造物である人間は、創造主と救い主なる神様の助けなくして、罪と死と悪魔に打ち勝てず、真の自由と平等は、理想におわります。

今年は、関東大震災から100年ということです。1923年9月11日、関東大震災が起こりました。その地震で19万人以上が死亡あるいは、行方不明となり、190万人の被災者が出ました。そこで、アメリカは、日本のために、どの国よりも早く、救護隊を派遣し、食料と服、そして救急薬品を空輸して被災者を助けました。

それだけでなく、その後も半年間、続けて150隻分の日用品を援助し続けました。昭和天皇は、このことについて感謝を表し、クーリッジ大統領に「日本国民は、アメリカの恵みに心から感謝しています。この御恩は、永遠に忘れることができません」という内容を、直筆の手紙を贈りました。

しかし、それから2020年も経たないうちに、日本はアメリカのハワイの真珠湾を攻撃してしまいました。人間とは、誰しも受けた恵みを忘れてしまう危険があり、権力は腐敗しやすいということが、このことによっても分かります。

神様に愛されている皆さん、創造主なる神様にして救い主なる神様を離れて、誰も感謝と平和を築くことは出来ません。主はイスラエルの民の王を求めることすら、万事益としてくださいました。この主は、忘恩の国日本をも、憐れんで、過去の戦争を教訓として、平和と感謝と祝福に仕える国としてくださいますように。

その為には、先ず、わたしたち自身が、主なる神様を、王の王、主の主として、心の王座に迎え入れ、キリストの愛と平和が、私たちの心を支配してくださることを求めて行きませんか。お祈り致します。

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