2025 年 1 月 1 日 新年礼拝マタイによる福音書 6 章 31~34 節「明日を照らす光・揺るぎない平安」
- CPC K
- 2月2日
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牧師 松矢龍造
「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみ な、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必 要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのも のはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩 む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 起 新年、明けましておめでとうございます。昨年の 1 月 1 日は、能登半島地震から始まりました。 そして現在 NHK の朝ドラ「おむすび」では 30 年前の 1995 年に起きた阪神淡路大地震が背景となっ ております。「明日、問題が起きたら、どうしょう」「老後にお金がなくなったら、どうしょう」「死 んだらどうなるだろう」。 どんなに心配し、思い悩んだとしても、明日の事は誰にも分かりません。けれど、明日を知って おられ、あなたを心配しておられる神様がおられます。この歴史の主にして、創造主、また救い主 と共にいて、明日と未来に希望を持って歩ませていただく年となりますように。 承 主イエス様は、明日を照らしてくださる世の光です。ヨハネによる福音書 8 章 12 節「イエスは 再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」 今年、世界では、いまだにロシアとウクライナの戦争が続いております。またパレスチナとイス ラエルの抗争も続いています。そして世界の東西情勢、中近東の不安定さなど、私たちを取り巻く 世界は、予断が許されません。 1939 年、小学校教師となり、16 歳から 7 年間、「皆さんは大きくなったら、国のために死ぬので すよ。天皇陛下のために命を捧げるのですよ」と教え続けた三浦綾子さんがいました。本当は、軍 国主義や植民地主義の為の戦争であり、天皇が神でないのにもかかわらず、何の疑うこともなく、 子どもたちを戦争に駆り立ててしまった。 敗戦後、自分の間違いに気づき、教員を辞めてしまった。そしてすべてが空しく感じる中で、二 重婚約までしてしまった。先に結納を持って来た男性と結婚すればよいと思い、自殺もはかりまし た。やかて、その一人から結納が入る日に、高熱で倒れ、13 年にも及ぶ、療養生活が始まりまし た。 病は、肺結核に始まり脊髄カリエスと進行します。その時は、間違った教育を子どもたちにした り、二重の婚約をしてしまったりした罰にも思えたそうです。そんな明日を照らす光など見出せな い日々の中で、神様は、同じ病気で入院していた、幼馴染の前川正さんとの出会いを与えてくださ いました。彼はキリスト者であり、医学生でもありました。 彼は、三浦綾子さんの生活を憂いて、何とか立ち上がらせようと、心を砕きました。聖書を読む ことを勧め、短歌を作ることも勧めてくれました。けれど素直になけない綾子さんは、戦時中、信 ずるに値しないことを信じてしまったことから、もはや何も信じまいと思っていました。 そんな綾子さんを、前川さんは、どこまでも寛容な心で見守り、諭し、教えようとしました。ある時、いっこうに、ふてぶてしい態度を改めない綾子さんの前で、彼は自らの足を石で打ちながら、 叱ってくれました。綾子さんは、その時、初めて人間の真実に触れた思いがしたと言います。この 人の背後にあるものは、本物ではないか。信じてもよいのではないかと思うようになりました。そ して 1952 年、札幌医大病院に入院中ですが、信仰告白をし、洗礼を受けられました。 すなわち全能にして創造主なる神様を信じ、全人類の為に十字架を負ったキリストを信じまし た。けれど厳しい病状は変わりませんでした。しかし、もはや平安を取り去るものはありませんで した。明日を照らす光に出会い、揺るぎない平安を頂いたからです。この神様は、私たちを真に心 配してくださるお方です。ペトロの手紙一 5 章 7 節「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。 神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」 転 それでは、この明日を照らす光であり、揺るぎない平安を与えてくださる神様は、さらに、どの ようなお方なのでしょうか。第一に、苦難に至る夕を迎え、暗い夜を過ごしても、必ず希望の朝を 迎えさせてくださるお方です。創世記 1 章で、天と地を創造された主は、このように一日を表現し ておられます。創世記 1 章 3~5 節「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を 見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があ った。第一の日である。」 どんなつらく、悲しい夕べとなり、夜を抱えても、必ず創造主は、希望の朝を迎えさせてくださ います。詩編 30 編 6 節にもこうあります。「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎 えさせてくださる。」 第二に、至らず、罪を犯してしまう、弱い私であっても、なおその存在を愛してくださり、離れ ず共にいてくださるお方です。ローマの信徒への手紙 5 章 8 節「しかし、わたしたちがまだ罪人で あったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対す る愛を示されました。」 私たちの為に十字架にかかり死にて葬られ陰府に下り、三日目に復活された主イエス様は言われ ます。マタイによる福音書 28 章 18~20 節「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地 の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさ い。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るよ うに教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」 第三に、どんな暗闇の中でも、復活されたお方は、明日への希望と共に平安を下さるお方です。 ヨハネによる福音書 20 章 19 節 20 節「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ 人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あ なたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子た ちは、主を見て喜んだ。」 この希望と愛、臨在と平安を下さるお方に対して、私たちは、この年、日々、どのように応答す るのがよいのでしょうか。第一に、悪から離れ、主の御言葉を夜も昼も、黙想することです。詩編 1 編 1~6 節「いかに幸いなことか。神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとど まらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。 その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばさ れるもみ殻。神に逆らう者は裁きに堪えず、罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。神に従う人 の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」 第二に、人間関係において平安を得ることです。あえて主は、折が合わない人を置かれます。私 たちの生活を喜びにも、闇にもするのは、人間関係です。この年、私たちは、折が悪い人と、どの ように向き合うでしょうか。それは、私たちを研ぎ成長させる為です。箴言 27 章 17 節「鉄は鉄を もって研磨する。人はその友によって研磨される。 そしてその人の為に、祝福を祈ることが、私たちが幸いに至る、もう一つの鍵です。ルカによる 福音書 6 章 27 節 28 節「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、 あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のた めに祈りなさい。」 そして第三に、思い煩うことなく、神様に委ねます。マタイによる福音書 6 章 31~34 節「だか ら、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異 邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なこ とをご存じである。 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられ る。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、そ の日だけで十分である。」今年、救われてから 50 年目を迎えます。50 年振り返りますと、神の国 と神の義を先ず求めますと、必要なものは全て備えられてきましたから感謝です。 結 冒頭の三浦綾子さんは、洗礼を受けた後に、幾度となく聖書を説いてくれた西村久蔵氏が天に召 されました。その後に自分を主にあって信仰に導いた前川正さんも天に召され、病でその葬儀礼拝 にさえ、出席できず、ギブス・ベッドで、幾日も嗚咽しました。その時の短歌です。 「君逝きて日を経るにつれ淋しけれ、今朝は初めて郭公が鳴きたり、耳の中に流し泪を拭いつつ、 また新たる泪があふれ来つ、吾が髪と君の遺骨の入れてある、桐の小箱を抱きて眠りぬ、クリスチ ャンの倫理に生きて、童貞のままに逝きたり 35 歳なりき、祈ること、歌詠むことを教え給ひ、吾 を残して逝き給ひたり」 明日は、たとえ思い煩うことなくても、試練や苦しみ、悲しみは、必ず襲い来るでしょう。しか しその苦しみも、主は万事を益としてくださるお方です。詩編 119 編 71 節「苦しみにあったこと は、私にとって幸せでした。」綾子さんは言います。「聖書にあるとおり、苦難はすべて益になった。 こうして絶望から希望に移された。私は、あらゆる機会にキリストを伝えたいと思うようになった。 その延長線上に、文筆活動も与えられたといえる。私は、ただただ、神様の愛に感謝せずにはいら れない。」 神様に愛されている皆さん。あなたも、明日への光を灯し、揺るがない平安を与えてくださるイ エス様と、共に歩む、一年の日々として行きませんか。お祈り致します。
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