『先週の講壇』 ヨハネの黙示録14 章1~5 節 「救われた者たちの新しい歌」
- CPC K
- 2021年6月13日
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小羊とは、イエス・キリストのことであり、シオンの山とは、天上のエルサレムの都を指しています。そこには復活されたキリストと共に14 万4 千人の人達がいました。14 万4 千人とは、象徴的な数字で、キリストの救いを頂き罪を贖って頂いた人々の初穂の人々、あるいは完全な神の民を表します。
この完全な神の民の特徴は、第一に、その人達の額には、小羊なるキリストの名と、父なる
神様の名とが記されています。天使たちは、この額の印を見て、天の御国に入れられる者たちと、ゲヘナなる地獄に行く者たちを分けました。さらにこの額の印は、所有権、忠誠心、保証、保護、安全を意味しており、神様のものであり、悪魔も悪霊もサタンの勢力も、誰も手出しをすることか出来ず、完全に神様に保護される人たちです。
第二に、新しい歌を歌います。父なる神様とキリストの玉座の前には、位の高い四人の御使いと、神の民の代表である長老たちがいました。これらの前で、新しい歌を歌いました。この歌は、地上から贖われた14 万4 千の者たちのほかは、覚えることが出来ませんでした。覚えると訳された言葉は、原文では「学ぶ」あるいは「知る」「習得する」という意味でもあります。迫害と圧力・プレッシャーの中で、苦難と忍耐、忠誠と不断の進歩を体験してきた者たちの歌です。
第三に、霊的な姦淫をしない人たちです。旧約聖書は、しばしば偶像礼拝をなすことを、霊的な姦淫として描かれました。ヨハネの黙示録が記された初代教会の時代では、ローマ皇帝を、神として拝むことを拒否した者たちのことです。またあらゆる時代において、力、富、性的な不品行など、地上にある、あらゆる誘惑や偶像を拒否した者たちのことです。使徒パウロの表現は、純潔な処女と言われています。
第四に、この者たちは、小羊なるキリストの行くところへは、どこにでも従って行く者たちです。キリストにある任務を遂行するために、迫害や要求されれば、死に直面してもついてゆきます。さらに偶像や不道徳から身を守り、無条件の従順と献身を持ってキリストに従って行った者たちです。
第五に、偽りと、咎めがない者たちです。キリストのみに操を立て、異教の神々を拝むことなく、誘惑に屈しない人達です。
その為には、第一に、毎日、神の御言葉を、御聖霊によって生活に当てはめることが大切で
す。それは思いと心をきよめる効果となります。第二に、誘惑に屈しないという決意が、日々必要となります。第三に、讃美と感謝と祈りを、日々主に捧げる生活が重要です。キリストよって、新しい義の服を着させて頂いた者たちは、新しい讃美と感謝を主に捧げながら、日々神様の御言葉を受け留めます。そして誘惑に屈しない決意を日々しながら、純潔なキリストの愛に答えて、純真な愛と信頼に基づく、主に従順な生活を、捧げてゆきませんか。




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