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2021.5.16 ヨハネの黙示録13 章1~10 節

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2021年5月20日
  • 読了時間: 8分

「聖なる者たちの忍耐と信仰」

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ヨハネの黙示録に記されている預言は、二重預言あるいは、三重預言がなされている箇所があります。それはヨハネの黙示録が記された初代教会において、一つが成就します。またその後の時代に、おなじようなことが成就します。そして世の終末の時代において、同じようなことがまた成就するというのが、二重預言、あるいは三重預言と言われます。

山の景色にたとえますと、ある角度から一つの山のように見えても、90 度横から見ますと、二つも三つもの山々からなっている景色です。一つの山並みに見えても、実際の山は、二重三重に重なっている山々の景色のようです。

13 章に出てきます二匹の獣、すなわち反キリストの勢力とも、サタンの勢力とも言える存在が、初代教会の時代、また後の教会の時代、そして世の終末に現れる存在と、二重、三重に預言されている可能性があります。

創造主にして救い主なる神様は、象徴する期間を示す完全数七の半分にあたる42 か月・三年半、サタンの勢力である獣が、神の民である教会を迫害することをあえて許されます。42 か月の期間とは、主イエス様が昇天されてから、世の終末における大患難時代までの期間でもあります。

この制限された期間、二匹の獣であるサタンの勢力が、地上を支配する期間が許されるのは、どうしてなのでしょうか。

理由は、見かけだけの信者が明らかにされる為です。また反キリストの勢力の中にいる人々に、悔い改めて創造主なる神様に立ち帰る機会が与えられる為です。そして聖なるものたちの忍耐と信仰

を働かせて、信者たちを聖化させる為だと考えられます。

今日の御言葉である13 章1 節「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。こ

れには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。」

獣が海の中から上ってくるとは、獣は初代教会では、ローマ帝国を象徴しています。その軍隊は、小アジアを攻撃する為に、海を渡って来ました。角とは力を象徴し、頭は知性を象徴し、冠は立場を象徴します。そして角と頭の王冠は、世代ごとのローマ皇帝を意味します。

皇帝たちは、自らを神として、征服民に対して、礼拝せよと強要します。それが真の神様を冒涜することだと言われています。冒涜するとは、原文では、「口ぎたなく罵る」あるいは「悪口を言う」という意味でもあります。真の創造主なる神様または聖なるお方に対して、罵りの形で、不敬虔な汚す言葉を吐きます。そして獣は、真の主なる神様を冒涜することで、創造主なる神様に忠実な殉教者たちをも、冒涜しています。

10 本の角と、7 つの頭の形容は、竜なる悪魔と同じ形容です。ですから、獣はサタンから力を受けていることが暗示されています。2 節「わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。」この獣であるローマ帝国は、速やかさは豹のようで、ギリシア帝国のようです。また力強さは熊の足のようで、メド・ペルシヤ帝国のようです。そして貪欲さは獅子の口のようで、バビロン帝国のようです。これら3つの以前存在していた世界帝国の悪しき特徴の全てを持ち合わせているのが、ローマ帝国なのです。

3節「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。」この獣の頭の一つが傷つけられて死んだとありま5

すが、伝説ではAD54 年から68 年に在位した皇帝ネロが自殺したことを示していると考えられています。

迷信によれば、キリスト者を激しく迫害した皇帝ネロは、自殺したが、彼に友好的であったバルティア帝国を率いて、東からローマに攻めて来ると民衆に信じられていることがありました。反キリストは、偽メシア・キリストを装い、偽の復活さえ演じて見せるのです。

あるいは、皇帝ネロの死後、もう一人ローマ皇帝で、キリスト者を同じく迫害した皇帝ドミティアヌスが、AD81 年から96 年まで在位したので、生まれ変わりと言われているという説があります。

そして全地は、驚いて、この獣に服従します。4節「竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。『だれが、この獣と肩を並べることが

できようか。だれが、この獣と戦うことができようか。』」

竜を拝むとは、サタン礼拝であり、また獣を拝むとは、皇帝礼礼拝を暗示しています。そして世の人々は、だれもサタンと皇帝に肩を並べることはできず、戦って勝つ者はないと言うのです。

第二次世界大戦の時、日本の政治権力が悪魔化しました。そして天皇を神格化させて神と呼び、神社参拝を強要しました。こうして後に時代においても、竜であるサタンと獣である反キリストの

なした業が、日本においても起こりました。

5節6 節「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒

涜した。」ここで天に住む者たちとは、創造主なる神様と共に天にいる天使たちのことか、あるい

は、地上にいながら、その国籍は天にある故に、天に住むことになり、いわば地上では旅人として

地に住んでいるキリスト者のことではないでしょうか。

その期間は、7の半分として、限定されています。この世の権力、財力、人間の欲望などを総動

員して、神の民である教会に闘いを挑んできます。すべての偶像礼拝の背後には、サタンの働きが

あります。しかし神の聖徒たちの苦難が、創造主にして救い主なる神様の支配と意志の外にあるも

のではないという確信が与えられます。

7節8 節「獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言

葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小

羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。」

ローマ皇帝と、属州の指導者たちは、皇帝礼拝を拒否したキリスト者を罰して投獄し、キリスト

の命の書に記されていない人達は皆、皇帝を礼拝します。そして初代教会の時代から続いているサ

タンの勢力による迫害は、現在も様々な形で、世界の様々なところで、連綿と続いています。

しかしペトロの手紙一4 章12 節~14 節「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりか

かる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。

それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。あなたがたはキリス

トの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとど

まってくださるからです。」

そして辛い時こそ、真の神様を証しする機会として用いる時です。フィリピの信徒への手紙1 章

27~29 節「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行っ

てあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。

6

あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦ってお

り、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対

者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。つまり、

あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして

与えられているのです。」

そしてヨハネの黙示録13 章9節10 節「耳ある者は、聞け。捕らわれるべき者は、捕らわれて

行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。」

剣を取る者は、剣で滅びます。マタイによる福音書にあります。主イエス様の警告を連想します。

「そこで、イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。』」

全ての時代の神の民であるキリスト者は、反キリストと偽預言者に惑わされることなく、キリス

トのみに礼拝をささげます。また、きよくなること、聖化されることを求めます。そして悔い改め

る人々が、さらに起こされるように、キリストの福音を証しします。その為に、信仰の創始者であ

り、完成者であるキリストから目を離してはなりません。

最後に、カン・ジュンミンという方の「眼識が人生を決定する」という内容を受け留めます。「自

分のことを『神様の手に取られた、ちびた鉛筆』だと表現した人がいます。『私は神様の鉛筆です。

神様はちびた鉛筆で、好きなものを描かれます。私たちが、どんなに不完全な道具でも、それを用

いて実に美しい絵が描かれるのです。』

ちびた鉛筆のような、ちっぽけな存在でも、神様の手にかかれば、多くの人を生かすことができます。ですから、神様の目で、人と状況を見つめることが重要です。神様の目から見れば、つまら

ないものなどありません。むしろ、神様の関心は、人がつまらないと思うようなことにあります。

人生の問題は、眼識の問題です。眼識は、関心と観点によって生じます。また、細かい観察や黙

想によって生じます。イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクは、『一粒の砂に世界を見、一輪の花

に天国を見る。あなたの手のひらに無限を握りしめ、一瞬の中にある永遠を見よ』と歌いました。

イエス様が、この地に一粒の麦として来られたことを覚えてください。その方は、十字架で死な

れましたが、復活の初穂となられました。一粒の種に、数千本の木と、鬱蒼とした森を見ることが

できる人が、天の御国の目を持った人です。

目に見える華やかさを追い求めず、小さなものからでも、いのちを見い出す人になってください。

この世でもっと価値あることは、いのちを生かして育て、永遠のいのちを与えることだということ

を覚えてください。」

主にある愛する兄妹姉妹、今現在、目に見えるものだけで、神の国を判断してはなりません。神

の御言葉と信仰の目によって見る、永遠の神の国を見て、聖なる者たちの忍耐と信仰を、御聖霊に

よって、働かせていきませんか。お祈り致します。

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