2021.5.19 NGW 出エジプト記16 章12 節
- CPC K
- 2021年5月20日
- 読了時間: 5分
「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮
れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなた
たちの神、主であることを知るようになる』と。」
『神様は必要を満たしてくださる』
牧師 松矢龍造
起
皆さんは、蜂蜜入りのパンケーキを食べたことがありますか。あるいは蜂蜜の入ったウェ
ファースはどうでしょうか。それが荒れ野で、40 年間毎日食べられるという奇跡が与えら
れたことが今日の御言葉に出てきます。
イスラエルの民は、かつてエジプトの国で、奴隷とされていました。そこから神様が、モ
ーセさんを指導者として、イスラエル民、約250 万人を導き出しました。
ところが、シンの荒れ野は、広大な場所ですが、砂と岩だけです。パンも、肉も、水もあ
りません。イスラエル民は、紅海の海を渡らせて下さり、エジプト軍の戦車をみんな、やっ
つけてくださった神様のことなど、忘れているかのように、モーセさんに、不平と不満を言
い出しました。
そして奴隷であった、あのエジプトにいた方が、よかったとまで言い出しました。私たち
も、不都合なことが起こると、ぶつぶつと不平を言い出すのではないでしょうか。
承
そんな時、創造主なる神様は、いつでも、彼らの必要としているものを与えて下さいまし
た。私が神学生の時に、研修していた日曜日の日のことです。礼拝で献金を捧げたなら、残
りの財布には15 円位しか残っていませんでした。礼拝後には、お昼と、夕飯があります。
ます教会から神学校までの電車とバス代が必要でした。
すると教会の役員の方が、「松矢神学生、今日の午後は、私の家に来てお昼を食べません
か。」そしてその方のご自宅に行って、色々な話をしていたら、夕方近くなりました。する
と「夕飯も食べていったら」「帰りは車で神学校まで送っていってあげます。」神様は、必要
なものは、いつも満たしてくださることを学んだ時でした。
転
創造主なる神様は、モーセさんに言われました。「天から朝にはマナというパンを降らせ、
夕方には、うずらとう鳥が飛んで来て、お肉を食べることが出来る。月曜日から金曜日まで
は、毎日、一日分が降ります。六日目の土曜日は、日曜日の分も合わせて二日分降ります。」
もし月曜日から金曜日まで一日分だけでなく、二日分以上集めると、腐ってしまいます。
毎日、一日分だけを集めるのは、明日も必ず神様が与えてくださると信じることが試されま
2
した。神様からの細かい指示に、従うかどうかが、見られています。神様に従う一歩一歩を
踏み出すことで、神様に従うことを学ぶことができます。信仰は信じることですが、信仰生
活は、神様に信頼して従うことです。
マナというパンですが、マナとは「これは何だろう」という意味で、天使の食物とも呼ば
れているものです。薄い蜜の入ったウェファースのような味がしました。またウズラという
鳥は、3月から40 月頃に、パレスチナに渡って来る茶褐色の小鳥です。
このマナが朝ごとに、ウズラは夕ごとに、イスラエルの民約250 万人分だけ満たされるの
です。これは創造主なる神様の奇跡としか言いようがありません。
神の御子イエス様が、地上に来られた時に、ご自身のことを、天からのパンと言われまし
た。荒れ野でイスラエル民を、マナとウズラで、毎日満たす奇跡をなされた、同じ神様であ
ることを表わされたのです。
イエス様は、男性だけで5000 千人、女性や子どもたちを入れたなら、約2 万人の人達に、
五つのパンと二匹の魚を祝福して祈り、食べさせて満たすという奇跡を行われました。
6日目の土曜日だけは、二日分集めて良い日でした。それは、日曜日は、集めるような仕
事をせず、神様を礼拝する日だからです。安息日は、マナやウズラを集めることは、仕事と
見なされて、禁じられていました。日曜日は、仕事を止めて、神様に感謝と讃美と礼拝を捧
げる日です。
けれど日曜日に働く誘惑が常にあります。家族の責任と果たすのだ、あるいは娯楽を楽し
むといったことで、日曜日のスケジュールを詰まらせて、神様を礼拝する時間をとらなくな
るのは非常に簡単です。いつも気をつけて、神様との時間を守るようにしたいものです。
続いて、イスラエルの民は、マナとウズラがあっても、水がないと不平を言い出しました。
マナとウズラを与えてくださった創造主なる神様に祈ればよいのに、再び彼らの問題に対し
て、不平や不満を訴えました。
いくつかの問題や課題は、話し合ったりして解決をしますが、祈りによってしか解決でき
ない問題もあります。そんな時に祈る代わりに、不平を言い出すと、自分のストレスを増す
だけだと知る必要があります。その為には、祈りの姿勢を、確かに整える必要があります。
祈りは、私たちの、考え、思想、感情を静めて、神様に聞く準備を整えてくれます。
モーセさんは、民の不平を聞くと、創造主なる神様に祈りました。すると神様は、苦い水
を、甘い水に変える奇跡を与えて下さいました。
結
困難やつらいこと、不足や危険な目にあったなら、しばしば神様への信頼の不足し、心の
焦点を神様に合わせることが出来ないでいます。ほんとうは、そんな時こそ、ストレスの原
因を、どう処理するか、助けてくださる神様の力と知恵に、私たちの心の焦点を合わせるこ
とが重要です。
そして私たちが信頼するお方であるイエス様は、天からのパンと言われたお方です。それ
は肉体のパンだけでなく、永遠に霊的なパンである永遠の命と、真の生きる道を与えてくだ
さるお方だと言うことです。
イスラエルの民は、この神様の奇跡を忘れることのないように、パンを壺に入れ、契約の
3
箱に入れておきました。そして常に忘れないように思い起こしました。それは神様が、いつ
も共にいてくださる印でもありました。
私たちの罪の身代わりとなって、十字架につかれ、陰府に下り、三日目に復活され、天に
昇られたイエス様は、神様に祈り、御聖霊によって、御言葉に従う民と、常に共にいて下さ
います。ですから、日々、主の言葉に聞き従う歩みとなりませんか。
申命記8 章3 節「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマ
ナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉
によって生きることをあなたに知らせるためであった。」お祈り致します。

コメント